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2021年07月03日20:55

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「捨てさせられて」こその「悟り」や「啓示」

「悟り」

「啓示」

自分自身の意図(目的意識)で
実現するのではない。

実際には
むしろ
その逆で

本人の意志とは真逆に
「捨てたくないのに
 捨てさせられる」
という
「出来事」

起きてしまい、

しかも
抗(あらが)えない
何らかの力(結果的は「これ」が「神の力=神の意志」)
によって

捨てずに済ます道が
総(すべ)て
これまた何らかの力(神の力=神の意志)
によって
閉ざされている場合

そして同時に
本人が
それを神の意志だと
気付いて
「受け容れる」場合に
限って

本人の意識に
「神」や
「仏」が
現状する。

そして
「啓示」や
「悟り」が
本人の意識で
実現する。

それだけではなく
それが
啓示であり
悟りである以上
その人は
単に意識の中で
満たされるだけではなく

外面的な世界においても
神によって守られる。

それがたとえ
見かけ上
(つまり
 「常識的な見方では」)
守られているように
見えなくても

やはり結局は
守られている事が
判明する事実となって
現れる。

そういう奇蹟を起こすのが
(でも
 奇蹟を起こす「主体」は
 本人ではなく「神仏」。)
悟りや啓示を
受けた者
(それゆえ「捨てること」を
 「受け容れざるを得ない状況に陥り」
 その「状況」が
 神によって用意されたものである事を
 自覚して「受け容れた」ことによって
 むしろ神仏をして
 そのものを守らざるを得ない気持を
 強(し)いる事となる、
 そういう者)

際立った特徴。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

現在の
自分自身の状況は

0.京都の家で
  妻の原因不明の度重なる体調不良。

1.とうとう私にも脳の不調が現れ
  これは「環境」を変えなければ
  (この環境からの「Exodus」を敢行しなければ)
  原因不明の「病(身心のみならず事件や事故を含む)」
  を回避出来ない
  と判断し
  転地療養を決心する。

2.転地療養の環境を選定し
  そこに住居を構えて済む事に。

3.しかし全財産が無くなる事態に。
  (母の「遺産(力)」を相続し「換金」したが
   「これ」を「捨てなければならない事態」に。
   そしてその「事態」は「不可避」に生起し
   「不可避」に進行した。)

4.「この事態」を
  「神が与えた苦悩」であると捉えて
  「そのまま受け容れる」。

5.「そのこと(そのまま受け容れる事)」が
  将来を約す(約束された将来が来る)と判断する。

ところで
「普通」なら
必死で働くなりして
金銭の工面をして
「捨てたくないのに捨てさせられた母の遺産」を
取り戻して
生活の安定を
図(はか)るだろう。

その「全財産を失った状態」から
出来るだけ早期に脱出する事を
目指すだろうし
そうしないと
生活が破綻するだろう。

なので
上記のような判断
(「全財産を失わさせられた状況を
  神が与えた苦悩として
  受け容れるべきだと判断すること」)

現実離れした
間違った判断と行為
だと思つて
誰もそのように
判断しないし
行為しない。

けれども
そのように行為すること
(通常の判断のように
 生活を取り戻すために
 必死で働くなりして
 生活資金を調達して
 捨てさせられた母の遺産(=力)を
 取り戻そうとすること)

イエスや仏陀の行為
ではない。

イエスや
仏陀のように
神仏に守られて生きたいのであれば
あるいは
自然の力を受けて
(自然に守られて)
生きたいのであれば

「常識的な行為」
ではなく
「神仏や自然の意志に従順な生き方」

選ぶべきだ。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

せっかく
哲学と宗教を
62歳になるまで
学んできたんだ。

そして
62歳まで
学生で居続けたからこそ
学び取れた境位がある。

なので
資本主義の意志に支配される
のではなく
どうせなら
神仏や自然の意志に支配されて
生きたい。

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最終更新
令和3(2021)年7月3日 21時38分
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