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2021年06月23日13:00

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自分の哲学は自分しか理解していないので残しておこう(私家版『京都大学大学院 教育学研究科 博士後期課程在籍中 学術雑誌 掲載論文集』)

哲学は
その人独自の体験を含むし
むしろ

或る人の哲学に独自性がある
とするのなら
その独自性

その人だけが体験した経験
けれども
その人自身の感性と悟性でなければ
構築出来ないような仕方で構築された思想
に基づいている
(ただし「独自性」だけでは
 「哲学」が「個人経験」に還元されてしまう。
 「独自性」の中に
 「反復可能な普遍性」が含まれていなければ
 ナンセンス(無価値)ではある)

ので

その人の「独特な」経験

その人の「独自な」理性

共有出来ていないと

全く理解出来なくなる
おそれがある。

ということは
個人の経験を
当の個人以外が
つまり
同時に
他人が同じ体験として経験出来ない
以上

経験の共有を前提条件とする思想は
当人以外には
伝えられない事実
(反復不可能事実、一回性、唯一無二性)
だということになる。

(シェリングはしかし
 歴史の一回性
 出来事の唯一無二性にこそ
 真の歴史の価値がある
 と見ていて
 そういう一回性・唯一無二性を
 消し去ったり
 剥ぎ取ったりした歴史は
 普遍的なように見えて
 平板で
 無味乾燥だ
 と言って否定する。)

私の哲学は
私自身は勿論理解しているが
この理解でさえ
最近頭の調子が
とみに悪くなってきているので

早急に
私自身の哲学システムを
仕上げて
(理想はそれを学位論文として提出して
 受理されて学位が授与されて
 博士論文として公刊する事。
 この理想はしかし諦めないで保持しておこう。
 それが自分自身の哲学を公的な場で生かす可能性だから。)
これを1冊の書物に纏めたい。

その場合
1.哲学としてのシェリング・西田・ホワイトヘッドが到達した思想圏。
2.宗教原理獲得方法としての自律性療法。
3.宗教原理表現方法としての中動態系言語文法。
これを内容としつつも
自分自身のオリジナルな内容(差別化)が
存在していなければ
単なる折衷論で終わってしまう。

組み合わせとしての新しさは
「哲学としての新しさ」
または
「宗教としての新しさ」
ではない。

なので
自分独自の「哲学用語」
あるいは
自分独自の「宗教用語(ないしは宗教原理)」

明らかでなければならない。

そういうことの
創造も
(「事業計画」を立てる事とは異なる意味で)
自分が生きてゆくために
(自分の哲学・宗教思想が歴史に残るために)
必須の要件だ。

2017年4月の『場所』第十六号への投稿論文
以降
私の公的な論文が
途絶えているのは

小川侃(ただし)先生からの

「君は大きな失策をしておる。
 教育への投稿論文を優先し
 教育学の学位を取得する事を最優先すべきである。

 医学系の学術雑誌への投稿論文や
 哲学系の学術雑誌への投稿論文は
 後回しにして

 教育系の学術雑誌への投稿し
 査読を合格し得た論文を学術雑誌へ掲載し
 教育学の学位(博士号)を一刻も早く取得する事
 即ち
 「教育の問題に特化した論文」を仕上げる事に
 専念すべきだ。」

という勅命を受けて(2017年頃)
私自身この判断を信じて
(実際、その判断は正しい判断だと今でも思う)
『教育哲学研究』への投稿(2018年度)

『京都大学大学院教育学研究科紀要』への投稿(2019年度)

試みたが
ことごとく失敗し

特に
『京都大学大学院教育学研究科紀要』への投稿
に際しては
パワーハラスメントを受けて
2020年度を棒に振る結果となった。
(この問題は2021年4月に一応の収束を得ている。
 ただし、根本的な問題は解決していないと思うが、
 自分が今現在為し得る事は為し得たと思っている。)

なので
2017年4月以降の
公的な論文成果が
結果的に
1本も出せない事となった
からだ。

この結果を招来してしまった
のは
私の「独自な必然性」を
私自身が見落としていた
からだ。
(この「独自性」は
 自分にしか見えないのだから
 「他人の頭(判断)」に依存せず
 「自分自身の頭(判断)」が
 「自分自身の独特な必然性」を「把握している事」を
 「絶対的に信頼して」
 「自分自身の頭の判断」に「任せるべき」
 だったのだ。

 この方法論は
 「自律性療法」の方法論でもあるのだから
 自分には気付けた筈だ。)

やはり
私には
「私が自分で決めた計画どおりに実行すること」

「最も早く物事を進行させる結果を齎(もたら)す」
という
「私の必然性」
があるのだから

この独自の必然性

「自覚」して
行為すべきであった。

なので
公的な論文の投稿順序は
1.『日本精神医学史学会』
2.『日本自律訓練学会』
3.『西田哲学会年報』
4.『教育哲学研究』あるいは『教育学研究』あるいは
  『近代教育フォーラム』
以外には
実際には
「あり得ない」。

このことは
母にも散々言ってきたのだが
小川先生の「鶴の一声」には
逆らえず
2017年度と
2018年度
2019年度
2020年度を
無為に過ごす結末を招来してしまった。

4(『教育哲学研究』あるいは『教育学研究』あるいは
  『近代教育フォーラム』への論文投稿)
に関しては

教育思想史学会へ
新たに入会して
シェリング哲学を教育に生かす論文として
投稿することにチャレンジしたい。

この道(『近代教育フォーラム』への論文投稿)が
最も掲載可能性を含む投稿方法だと
今は思っている。

学位取得は
私の京大へ来た
「宿題(宿願)」であるから
これを放置する事は
精神衛生的にも
良くないと思う。

「金儲け」を優先して
「学業」を後回しにすると
(これまでは
 「生きる事」を後回しにして
 「学業」に専念してきたわけだが)
結局は
目標を見失う事
あるいは
個性を潰す事になってしまうのでは
あるまいか。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

認知症の兆候なのか
はたまた
京都の魔境の為せる
悪戯(いたずら)なのか

今の私の頭の不調状態
では
私が書いた
過去の論文が
今(2021.6.23.)の私の
「一番の先生」
だ。

私家版(自家製)
『京都大学大学院 教育学研究科 博士後期課程在籍時
 学術雑誌 投稿 掲載論文集』(全二分冊:右が第一分冊、左が第二分冊)。

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これを読み直す事が
今の私にとって
一番「勉強」になる。

どの書物よりも
自分自身を
向上させてくれる。

認知症の兆候ではないかと
思うほどに
頭の不調に悩まされている
今の自分にとって
過去の自分自身が
一番の先生だ。
(今の私への一番効果的な
 「認知症治療薬」なのだ。)

第一分冊(2014年4月〜2016年4月までの5論文収録)。

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第二分冊(2016年8月『東西宗教研究』第十四・十五号掲載論文と
     2017年4月『場所』第十六号掲載論文の2論文。)

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☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

第一分冊に
収録している
学術雑誌掲載論文。

第一分冊
第一論文。
『場所』第十三号(2014年4月)掲載。

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第一分冊
第二論文。
『プロセス思想』第十六号(2014年9月)掲載(査読合格論文)。

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第一分冊
第三論文。
『身心変容技法研究』第四号(2015年3月)掲載。

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この論文は
令和3(2021)年3月に
共著として公刊された。
(内容は更改されている。
 また、
 それ以後に知り得た情報も当然含んでいる。)

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第一分冊
第四論文。
『シェリング年報』第23号(2015年7月)掲載論文。

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この論文は
ここからダウンロードして
読む事が出来るし
ここから直接読む事も出来る。

第一分冊
第五論文。
『場所』第十五号(2016年4月)掲載論文。

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この論文は
査読合格論文ではないが
査読合格論文の要件を満たす形式で書いているので
学術水準の論文になっていると思う。

だからかどうか
判らないが
西田哲学研究会編の『場所』全16号の中で
唯一、この第十五号のみ
「品切れ」。

でも
母の不治の病(膵臓末期癌)が判明する
直前の
平成30(2018)年7月〜8月にかけて

東京の西田哲学研究会から
『場所』の在庫を全部預かって

全国の大学図書館で
『場所』を継続受け容れしている図書館へ
抜けている号に関して
無償で「寄贈」する活動を
行ったので
(主催者の小坂国継先生が家庭の事情で
 外出が不如意になってしまった為に
 東京の西田哲学研究会が休会することとなり
 『場所』を保存する経費が捻出出来なくなり
 「処分」するということであったために
 私が申し出て「預かる」ことにした。
 西田哲学研究会の事務局も
 私が引き継いだため  
 『場所』を「継続受け容れ中」である
 全国の大学図書館などへ
 「欠号」を「寄贈」する活動を行った。)

次の
大学図書館を始めとする
公共の図書館には
全号(品切れの第十五号を含め、創刊号から第十六号まで)
所蔵されています。

1.京都大学大学院 文学研究科 学術雑誌閲覧室=laj(京都府 京都市 左京区)
2.国立国会図書館 東響本館 雑誌カウンター 書庫(東京都 千代田区)
3.同志社大学 神学部・神学研究科 図書室(京都府 京都市 上京区)
4.比較思想史学会 事務局(東京都 豊島区)
5.西田幾多郎記念哲学館(石川県 かほく市 内日角)
6.日本大学大学院 総合社会情報研究科(埼玉県 所沢市 中富南)
7.西南学院大学 図書館 情報サービス課(福岡県 福岡市 早良区)
8.中央大学・哲学(東京都 八王子市)
9.東京神学大学 図書館(東京都 三鷹市 大沢)
10.龍谷大学 大宮図書館(京都府 京都市 下京区)
11.身延山大学(山梨県 巨摩郡 身延町)
12.東京基督大学(千葉県印西市)
13.上智大学・哲学(東京都千代田区)
14.早稲田大学 戸山・哲学(東京都新宿区)
15.種智院大学(京都市伏見区)
16.九州大学 文系合同図書室(福岡県福岡市東区)
17.大谷大学(京都市北区)
18.南山大学 名古屋キャンパス 宗教文化研究所(愛知県 名古屋市 昭和区)

以上の大学へ行けば
雑誌なので
「品切れ」の
『場所』「第十五号」も
閲覧だけなら可能だと思う。

図書館によっては
その日だけ
持ち出し可能な場合もあるので
その場合には
コピーすることも可能かもしれない。

例えば
国立国会図書館で
『場所』第十五号所収の拙論を
閲覧したい場合には
ここから予約して
見に行く事で閲覧出来ると思う。

以上の活動の「資金」は
西田哲学研究会の会員である
栗田英昭さまが
ご好意で送っていただいた浄財が
(おそらく最初は3万円だったと思う)
今でも残っている
(2021年6月23日現在:1万 2,557円)
ので
とても助かっている。
(東京地区の西田哲学研究会は
 京都在住の私が継承したのだが
 平成30(2018)年9月に
 母の膵臓癌が見つかり
 「余命3ヶ月」と言われて以後
 頭が真っ白になって
 西田哲学研究会の活動が出来なくなってしまっている。
 
 これではいけないので
 蒜山へ移住してから
 再開致しますので
 それまで
 西田哲学研究会に関心を持っていただいている方々は
 今しばらくお待ちくださいませ。)

以上が
第一分冊に収録した
学術雑誌掲載拙論です。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

第二分冊
(2016年8月の『東西宗教研究』第十四・十五号と
 2017年4月の『場所』第十六号)。

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第二分冊に
収録している
学術雑誌掲載論文。

第二分冊
第一論文。
『東西宗教研究』第十四号・第十五号(2016年8月)。

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この論文は
この総覧の中の
私の項目から
読む事が出来る。

第二分冊
第二論文(2017年4月)。

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以上の
『京都大学大学院 教育学研究科 博士後期課程 在籍中 学術雑誌 掲載論文集』

最初の
第一分冊の第一論文が
2014年4月で
最後の
第二分冊の第二論文が
2017年4月である
ので
「3年間の学術雑誌への投稿と掲載の記録集」
ということになり
通常の
博士後期課程の修業年限3年と
偶然一致しているので
(実際には
 私が京大大学院教育学研究科の博士後期課程へ
 進学したのは
 2012年4月であり
 2014年4月は博士後期課程へ進学してから3年目で
 2015年3月の第一分冊第三論文までは
 博士後期課程へ進学して3年目に書いた論文(3本)だが
 2015年7月の第一分冊第四論文から
 2017年4月の第二分冊第二論文までの「4本」は
 休学中に書いた論文である。
 2018年4月から「復学」したが
 2018年度(『教育哲学研究』へ投稿するも「不採択」)も
 2019年度(『京都大学大学院教育学研究科紀要』へ投稿するも「不採択」)も
 2020年度(パワハラ問題に苦慮して学術雑誌へ投稿出来ず)も
 結局1本も学術雑誌へ掲載出来ずに
 終わっている。

 けれども
 私が学会で発表し
 発表した学会の学術雑誌へ投稿して掲載されていた期間は
 たまたま博士後期課程の大学院生が在籍する3年間であったので
 結果的には博士後期課程在籍中に7本の論文を
 学術雑誌へ投稿して掲載された成果として残る事になった)
博士後期課程3年間での
学術雑誌掲載論文集(7本)
という形式になっている。

つまり
『2014年4月(2014年度)から
 2017年4月(2017年度)までの
 3年間の
 京都大学大学院 教育学研究科 博士後期課程 在籍中に
 学会で発表し
 学会の学術雑誌へ投稿し
 掲載された
 7本の論文集
 (略して「京大大学院 博士後期課程 在籍3年間論文集(7本)」
  もっと略して「京大大学院 博士後期課程 在籍中 論文集」
  さらに略して「京大院 博士課程 在籍中論文集」
  窮極に略して「京大博士課程論文集」)』
ということ。

掲載された期間は3年(3年度分)
だから
通常の博士後期課程在籍期間内
だということになる。
(実際には
 博士後期課程に
 3年間の休学を含めて
 9年間在籍していたのだが。)

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最終更新
令和3(2021)年6月23日 21時32分
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