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2021年06月19日20:27

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紅茶んの ファミリーヒストリー

本日は 紅茶んの 母方の家族の歴史を紐解きます

紅茶んの 母方の祖父・YS郎さんは、1884年(明治17年)10月
東京府荏原郡羽田町に住む、YM助とカヤの三男として生まれます

時代は、近代日本政治の黎明期で 1881〜86年頃には自由民権運動が激化し、
1885年に内閣制度が発足しています。
1889年-大日本帝国憲法発布、東海道本線全線開通
1894年-日清戦争
1904年-日露戦争、時代は徐々に「きな臭く」なってきます

1898年-後に羽田町に電車を通す京浜急行電鉄の前身「大師電気鉄道株式会社」が創立
1902年-京浜電気鉄道、穴守線(現・空港線)開通
この頃一家は、東京府荏原郡羽田町大字鈴木新田に住んでおり、付近は穴守稲荷神社の鳥居前町として栄えていました。
1906年-京浜電気鉄道、品川〜神奈川間を全線開通。
祖父・YS郎さんと、最初の奥様・弥栄さんの結婚がいつだったのか、分かりませんでしたが
1909年12月、YS郎さん25才の時、長女・文が誕生、喜びも一入だったことでしょう。

1912年-大正に改元
1914年-第一次世界大戦勃発
1917年-羽田町干潟に日本飛行学校が創設

1918年4月、最初の奥様・弥栄さんとYS郎さんの協議離婚が成立します。長女・文さんの親権はYS郎さんに。
同年の12月には、2番目の奥様・奈緒さんと再婚、YS郎さん34才、奈緒さん30才、長女・文さん8才 でした
しばらくは、3人の幸せな暮らしが続いたようですが、
1922年-二女・勝世さんの誕生
1923年-関東大震災の発生

1924年-YS郎家に波乱の大正13年が訪れます
年の瀬が近づくある日、長女・文さん14才の妊娠が発覚します。お相手の男性は18才と若いカップル
長女・文さんには 継母とその実子(2才)との狭間で、何か思う所があったのでしょうか?
1925年-5月に初孫・佳代さん誕生、遅れて11月に長女・文さんと彼氏・稔さんの婚姻 & 養子縁組が成立します。
前年に4人だった家族は一気に6人となり、幼児2人を迎えて賑やかになった事でしょう。 その後も
1927年(昭和2年)-正和
1928年-孝二(生後2ヶ月半で死亡)
1929年8月-双子の参郎、志郎 と、矢継ぎ早に5人の子を授かり、YS郎家は9人の大家族となったのでした。

所が、激動の昭和4年(1929年)は、まだまだ続くのです
齢19才にして5人目となる双子の出産をした、文さんは産後の肥立ちが悪かったのでしょうか、出産2ヶ月後の10月に
20才の誕生日を迎えることなく永眠。 ご主人の稔さんはYS郎さんとの養子縁組も離縁となり、YS郎家から独立されます。
この時点の家族構成は、家長であるYS郎(45才)、2番目の奥様・奈緒(41才)、奈緒さんとの実子・勝世(7才)
先妻のお子さん・文(故人)さんの子供(YS郎には孫)、佳代(4才)、正和(2才)、双子の参郎、志郎(0才)の7人
奈緒さんは乳飲み子を多く抱えて大変だったことでしょう
   *この時代に「イクメン」な男性は居なかったとおもいます(笑)

1931年-「東京飛行場」として、羽田に空港が開設
この年の2月、双子の弟・志郎が1才6ヶ月で死亡。 後を追うように3月、2番目の奥様・奈緒が死亡
時代なのでしょうか? 早くも9月には3番目の奥様・巨摩さんと婚姻されます。 この奥様が紅茶んのお祖母様です。

これも時代なのでしょうか、結婚されてから矢継ぎ早にお子様を出産されます
1932年-三女・春子、生後2ヶ月で死亡
1933年-四女・令子・・・こちらが、紅茶んのお母さまです
1934年-二女・勝世、12才で死亡
1935年-長男・曼、満を持して(笑)やっと男子が生まれました。 奥様3人目でやっと・・・
1936年-五女・蓉子 ここでYS郎さん52才、打ち止めです(笑) 8人家族
この時点の家族構成は、家長であるYS郎(52才)、3番目の奥様・巨摩(39才)、
初代の奥様・弥栄さんとの孫、佳代(11才)、正和(9才)、参郎(7才)
巨摩さんの子、令子(3才)、曼(1才)、蓉子(0才)という構成、孫の方が実子より上なんです、解りにくい(笑)。
これは母・令子からの伝聞ですが、YS郎さんは何台もトラックを持って、羽田で運送業をやっていたそうです
   羽振りもまあまあ良かったらしい(笑)

大家族になった頃に、日本は戦争に邁進していきます。
1939年-第二次世界大戦 開戦
1942年-太平洋戦争・真珠湾攻撃
1945年-終戦
1946年-祖父・YS郎永眠、享年61才、 家督を長男である曼さんが11才で継ぐことになりました。
この時代はまだ長男が家を継ぐのが普通だったのでしょう。 まだ子供なのに大変です。

家長・YS郎の死去から始まった、旅立ちの季節は10年間で家族が8人から3人に減少するというものでした
1947年-孫/長女・佳代、婚姻により除籍(22才)
1954年-孫/三男・参郎、婚姻により除籍(24才)
1955年-四女・令子、婚姻により除籍(22才)
1956年-孫/長男・正和、婚姻により除籍(29才)
ここに至っての家族構成は、3番目の奥様・巨摩(57才)と、その実子、曼(21才)、蓉子(20才)
初代の奥様のお孫さん3人も独立されて、家督は実子の長男・曼さんに継がせ
大人になった3人だけ、もしかしたら巨摩さんには、一番安らぐ時期だったかもしれませんね。
フォト

私・紅茶んは1961年の生まれで、子供の頃に祖母・巨摩さんにお会いしたことが有ります。
ですが、母の弟・曼さんや、妹・蓉子さんには一度もあったことが無いのです
居るという事は、数少ない話の中で聴いていましたが、母の実家の話は紅茶ん家ではタブーだったらしく
全く出なかった。今思うと不思議です。 今回、ファミリーヒストリーを調べる機会が有って
とても良かったと思っています。

今回の日記は、母の除籍謄本から読み取れる範囲に、時代背景、その他勝手な推測・脚色を加えて構成した、寓話です。
登場人物の日付と構成は実物通りですが、名前は全て偽名としてあります。
まあ、本文内に死亡と書かれていない登場人物は、生きていらっしゃれば皆さん80代以上です、
   生きていらっしゃるか 全く分かりません。 ええ、没交渉なんですよ、母の実家とは。

長文にお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。
2021年6月吉日 紅茶ん

資料引用元 wikipedia、京浜急行電鉄HPなど
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