mixiユーザー(id:2223977)

2021年06月18日02:09

251 view

哲学と金(かね)


哲学が好きな人
哲学を愛する人

金(かね)を嫌う。

哲学が金で評価されることを
嫌う。

哲学で金を受け取ることを
嫌う。

私が尊敬する哲学者は
みな
無償で
哲学を私に講義してくれた。
(例えば花岡永子先生、山本誠作先生、小川侃先生、日下部吉信先生など)

私は
芸術家が
金をもらうのを
嫌う。

金をもらった時に
芸術家では無くなるように
感じるからだ。

哲学も同じだ。

哲学の価値は
金銭に換算できない。

命が
金に換算できない
のと同様に

哲学も
金に換算できない

私は思う。

哲学書に
値段が付いているけど
それは侮辱だと
思う。

哲学も
宗教も
お金に換算出来ない。

お金に換算できるものは
計算可能なもので
超越ではない。

哲学も宗教も
超越だからこそ
価値がある。

現実生活を
越えているからこそ
哲学であり
宗教だ。

現実生活に
呑み込まれるのは
哲学でも
宗教でもない。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

以上の考えは
哲人の
純粋性を示している
ようにも見えるが

シェリングなら
以上の考えは
「純粋に存在するもの(純粋存在者:das rein Seiende)」
と同じく
現実存在(質料的存在)
としての
存在し得るもの(存在可能者:das sein Könnende)

まったく共存できない
互いが互いを排除することでしか
自分自身を保つことが出来ない
「一面性」

と非難するだろう。

後期のシェリング
それも
『啓示の哲学』

西田哲学や
ホワイトヘッドの歴程哲学
と共に
1992年頃以来
ずっと
研究してきている
のであるのならば

シェリングが否定する生き方を
すべきではない。

父は
『赤ちゃん日記』

「父の願い」欄に
「まず健康、
 大きく物事をみつめる事、
 弁証法的唯物論の偉大な科学を
 しっかり勉強せよ」
と記している。

(「母の願い」欄に母は
 「思いやりのあるたくましい子。
  丈夫に育ってくれる様 願う。」
 と書かれてある。
 ちなみに
 このページは
 「命名」のための頁であるが
 「名づけの由来」欄には
 何も書かれていない。)

「大きく物事をみつめる事」
というのは
「木を見て森を見ない見方」を
批判する
哲学的な
ものの見方考え方だ。

「弁証法的唯物論の偉大な科学」

マルクスの思想だが
それは
ヘーゲル哲学に遡(さかのぼ)り
ヘーゲルは
シェリングから多くを学び
シェリングは
フィヒテやカントから
多くを学び

ドイツ古典哲学を形成した
フィヒテ、シェリング、ヘーゲルの中で
最もカントを全面的に継承し発展させたのは
シェリングであると私は思うので

父の
「弁証法的唯物論の偉大な科学をしっかり勉強せよ」
という願いには
後期シェリングを学び
これを継承発展させることで
充分に応えていることになると思う。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

後期シェリングが
『啓示の哲学』で
明らかにした

第三原理(causa finalis=目的因)
としての
" das im Actus, im Sein noch Potenz oder Subjekt Bleibende,
weil es im Actus, im Sein auch nicht sich selbst wollen kann
(das im Seyn Potenz oder Subjekt Bleibende,
 weil es im Seyn auch nicht sich wollen kann.
 SW, XIII, S. 237, Z. 26f.)

「現実において、存在において、なお
 ポテンツ即ち主観に留まるもの、
 なぜならそれは
 現実においても、存在においても、また
 自分自身を欲し得ないから
 であるもの」
 (存在においてポテンツ即ち主観に留まるもの、
  なぜならそれは
  存在においてもまた自身を欲し得ないから
  であるもの)


私が生きること

蒜山高原の古民家で
私が為すべきこと
だ。

これが出来るのは
この世に私しか居ない。

そう自覚して
臨(のぞ)むのでなければ
破綻する。

これまでの
私の人生に
起きた
様々な出来事(event=e-(外へ)+ -vent(来る)=出て来ること、起こること)

どれもみな
私がそれらを
どのように受け取るかで
人生に与える意義(影響)が
変わってくる。

私は
京都・下鴨に
母親が
私の
「学位取得と京都で大学の先生になる」
という
「目的」
のため「だけ」に
建ててくれた
「家と土地」

「売却」
して

蒜山高原に
移住する
という事


母の期待を
「裏切り」
「学位の取得を事実上放棄し」
「京都で大学の先生になる事も放棄し」
田舎に隠居する
ことでもある。

けれども
もしも
母との約束を「守って」
蒜山に行くのを
もう少し後にして

学位取得を最優先していれば
今年中に
取れたかもしれない。

ただし
その場合
妻の健康が
壊れてしまうだろうと
思われる。

それだけではなく
私の健康も
壊れてしまうだろう
と直観した。

というのは
原因不明だが
妻の体調は
限界を越えている。

そして私の頭の調子も
これも原因不明だが
限界に来ている。
(だからこそ
 最近の私の日記は
 「備忘録」だらけなのだ。
 なぜなら
 そうでもしなければ
 忘れてしまいそうなことだらけ
 であるような
 脳の狀態であると
 私自身が感じているからだ。)

この狀況を
根底から覆すために
採った方法が

母の遺産を
換金して
蒜山に住居を移す
という道だった。

占いに頼るのは良くないと
妻に常々言われているので
気にする事は無いが

六星占術では
今年を逃すと
夫婦二人共の年運が良いのは
令和9(2027)年まで
無い。

令和9(2027)年は
今年(令和3(2021)年)から
6年先だ。

我々が
68歳に成る年だ。

しかし
もしも今年
学位を取る事が出来たら
京都で大学の先生の職を得る可能性も
生まれてくるだろう。

そうなると
つまり
京都で大学の先生になることが出来たなら
蒜山に行く道は
ますます遠くなるだろう。

けれども
京都で大学の先生になり
一生京都で住む「道」を辿る事を
母は私に「期待」していたし

死んでしまった今でも
そう期待しているのかもしれない。

我々が蒜山高原へ行くのを
良くは思っていないかもしれない。

けれども
妻の健康を優先して
私の地位(学位)と名誉(大学教官職)を
「捨てる」行為は
美徳でこそあれ
悪徳ではない。

母との約束にも優(まさ)る
妻の健康。

願いは
叶えてこそ
意味があるが

いのちに優る
重みはないだろう。

母との約束を破る事になっても
妻の健康を守る事を選ぶのは
親不孝かもしれないが
人の道に反する行為では
あるまい。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

問題は
むしろ
私が
「純粋存在者」
という
一面性でしかない事であり

「存在可能者」
との
本来的同一性を取り戻して
第三原理へと
進展しなければならない。

それが
私の「成長」であり
「一人前」の
本当の意味だと思う。

世の中には
経済的に自立していることを以て
「一人前」と称する向きがあるが

精神的に自立していない人は多い。

精神的に自立するということは
経済的に自立するということと
次元を異にする。

経済的な自立は「存在可能者」の世界だ。

精神的な自立は「純粋存在者」の世界だ。

精神的に自立した経済的自立者こそが
「第三原理」としての
「現実においても、即ち存在においても、
 ポテンツに留まる事が出来るもの、
 主観(主体)に留まる事が出来るもの、
 そしてそれは
 現実においても、存在においても、
 それが自己自身を欲する事が出来ないから
 なのであるのだが
 そのようなもの」
である。

精神的な自立
(シェリングにおいてはそれは
 精霊的な生として
 現実的で質料的な生と
 相容れないので
 現実的には死ななければならない、
 したがってそれは
 死後の生を意味する)

現実的な自立を
排除する事でしか成り立たないのは
第二原理ではあるが
それは
第一原理としての
現実的な自立が
一面的である
のと
同様に
一面的である。

シェリングの言う
「第三原理」は
「遠い未来」
あるいは
「未だ来ぬ将来」
なのであるが

シェリングの時代(1775〜1854年)から
シェリング没後でも167年
シェリング生後なら246年(シェリングが生きてたら246歳だ)
も経っているのだから
もう
シェリングにとって「遠い未来」である「第三原理」を
「実行できる人」が
現れても良い筈だ。

それどころか
シェリングを含めて
これまでの人類の歴史の中で

第三原理を体現出来た人は
いくらでも居たのではあるまいか。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ということで
この世界の中の
誰も理解出来ない
(日本人に限らず、
 全世界の誰も理解出来ない
 と言っておこう)
後期シェリング『啓示の哲学』の
第三原理を
具現する事こそ

私の
蒜山高原の古民家での
目的であり
課題だ。

蒜山高原を選んだ
という事の中にも
第三原理実現の条件が入っている。

生まれた大阪は
存在可能者(第一原理)の商都。

京大時代に住んだ京都は
本来であれば
自然(純粋存在者)と
文化(存在可能者)の
共存する街の筈。

蒜山高原は
神話の国だから
むしろ
純粋存在者(第二原理)の神庭。

頭だけで考えれば
第三原理としての京都に
居を構えつつ
第一原理としての大阪と
第二原理としての蒜山を
行き来して
第一原理と
第二原理の
双方を保持する
という方法(生き方)が
「理想」であるかのように
映る。

しかし
実際に京都に住んでみると
特に我々が選んだ場所は

地鎮祭の時に
3度も
大麻(おおぬさ)と呼ばれる
お祓い棒から
紙垂(しで)と呼ばれる
紙の帯を
すぽんと抜いて
飛ばした。

その魔力を

僕たち夫婦は
忘れない。

けれども

考えてみれば
地鎮祭の時
祭壇は
本来南向きであるべき
らしいが

田中神社の神主さんは
東向きで設営していたように
記憶している。

それに
斎砂(いみずな;盛砂)も
してなかったし
設計者と施主と施工主による(地方によって担当は異なる)
斎鎌(いみかま)斎鍬(いみくわ)斎鋤(いみすき)による
(地方によって使わない場合や他の道具を用いる場合がある)
刈初之儀(かりぞめのぎ)一般的には斎鎌を使って設計者が担当する。
穿初之儀(うがちぞめのぎ)一般的には施主が担当して斎鍬で斎砂を穿ち、
                 施工主が担当して斎鋤で斎砂を整える。
鎮物埋納之儀(しずめものまいのうのぎ)神主さんが
                   祓地に柳箱と呼ばれるものを埋め、
                   祈念する。

しなかったと思う。

だから
土地の神が怒って
大麻(おおぬさ)と呼ばれる
お祓い棒から
紙垂(しで)と呼ばれる
紙の帯を
3度も
すぽんと抜いた
のだろうか。

地鎮祭を
ちゃんとしていなかったから
その後
我々に
いろいろな災厄を与えていたのだろうか。

だとしたら
蒜山の土地でも
地鎮祭をしなくても
良いのだろうか。

リフォームや
リノベーションでは
地鎮祭は
不要なのだろうか。

違う人が住むのだから
近所の人たちに
挨拶に行くのと同じ意味で

その土地の神仏に
許しを請うのは
礼儀ではないのだろうか?

今のリフォーム代金が
我々にとっては
理不尽と思えるくらいに
(というか予算を言っているのに
 その予算を全く無視するかのように)
多くかかるのは

我々が
新しく買った蒜山の土地と家を守る神仏に対して
何の礼儀も尽くしていない
(誠意を示していない)
からなのだろうか。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

神仏のことを
迷信のように
無分別に信じ込んだり

占いに
判断を左右される事は

西田幾多郎はもとより
キリスト教の権力の影響力から逃れられない国家の哲学者であった
シェリングであっても

否定するだろう。

宗教は学問ではない。

それは学問が
「反復可能な知」のみを「学」としたからだ。

参考動画:

宗教や哲学など
思想は
「反復不可能な知」を扱う。

だから
「反復可能な知」のみを「学」とした
「科学」者から見れば
「そんなの反復出来ないじゃん。
 だれがやっても同じ結果が出ないじゃん。」
ということで
「そんなの「学」じゃないじゃん」
とされて

「学」でない「知」は
「無価値」

科学者は「主観的に」思う。

けれども
「反復可能な知」だけを「学」としよう
と思ったのは
科学者が「反復可能な知」しか扱えないので
そうしようと「思った」だけで

「反復不可能な知」が
「反復不可能な知=その個人あるいはその現象にしか当てはまらない知」
であるという理由だけで
「無価値」とは
決めつけられない。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

宗教は学ではない。
哲学も
「反復不可能な知」を扱う
という意味では
つまり
東 浩紀という人の定義によれば
哲学も「学」ではない筈なんだけど

シェリングは
宗教は非学問だけど
哲学は Wissenschaft だと言う。

Wissenschaft と
science は
意味が全然違う。

Wissenschaft は
「反復不可能な知」も含むの
だけど
「反復可能な知」も扱うので
ドイツ人にとっては
哲学もまた Wissenschaft という意味で
(science という意味ではなく)
「学」なのだ。

science を
「科学」と訳しても
違和感が無いが
Wissenschaft を
「科学」と訳すと
語訳のように思える。

むしろ
Wissenschaft は
「学術」
という
「最も広い意味での学問」
を意味すると思う。

東 浩紀さんの「知」の区別は
Geisteswissenschaft(精神(人文)学)

Naturwissenschaft(自然科学)
との区別

説明でもある。

そもそも
「知」には
自然科学が扱い得るような
「反復可能な知」
以外に
「自然科学が扱い得ない知の分野」の存在を
明確に自覚して区別したのは
ディルタイ(Wilhelm Dilthey 1833〜1911)
だと思う。

ただし
ディルタイが
自然科学に対して
独立性を主張した学のことを
「精神科学」と訳すのは
語訳だと思う。

なぜなら
ディルタイが主張する
「歴史的社会的現実を対象とする」学は
「科学」ではありえないからだ。

なぜなら
「科学」は「科学者」によって
「反復可能な知のみを扱う学」
として規定されてしまっているのだから

「反復不可能な歴史的社会的事象や経験的精神的現象」は
「科学」ではあり得ないからだ。

なので
ディルタイが主張したのは
「精神(人文)学」と称される事は出来ても
「精神(人文)科学」と称する事は出来ない筈。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

いずれにしても
シェリングと西田とホワイトヘッド
の哲学を
継承しつつ
(シェリングと西田とホワイトヘッドの哲学に学びつつ)

自律性療法という方法が
生み出す宗教経験
(この経験は山折哲雄の説(修行法の違いが宗教体験の違いを生む)
 によればキリスト教とも仏教とも異なる宗教経験であるはず)

基く哲学

私は
「自律性無底哲学」
と命名して

これを
私独自の「商品」として
販売してゆく事を
私の個人事業として
生活の糧にする
「方法」を確立し
実行してゆく事


シェリングの言う
「第三原理」を
体現する事であると思うので

これを実行出来るような
「事業計画」を立てる事が
私には求められているのだ
と思う。

そのために
経済産業省の
「事業再構築補助金」

我々の前に現れている
のだと捉えるのが
良いのではないだろうか。

妻は
「そんな補助金もらわんでええ」
と言うし

事業再構築補助金をもらう事には
事業計画の実効性が
よほど見込みのある起業でない限り
辞めた方が良い
(「目的」を
 「事業再構築補助金を獲得する事」
 に置く
 のではなく
 「将来の為の収益を生み出す仕組みを作る事」
 「ビジネスを成立させる事」
 に置くべきだ)
という専門家のアドバイスもあるので


慌てて補助金を取りに行く事
よりも

自分の<自律性無底哲学>
を「商品」とする「ビジネス」が「成立」する「仕組み」を
「創造する事」
こそ
「目的(課題)」
とすべきだ
という自覚を持つべき
だと思う。

上の専門家とは
反対に
事業再構築補助金を獲得する事を
目的とする専門家のアドバイスも
同時に存在するわけで


いろいろな意見を勘案して
自分が納得のゆく方法を選んで
行為するようにしたい。

========================================
最終更新
令和3(2021)年6月18日 午前10時10分
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年06月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   

最近の日記

もっと見る