キリストが蘇られたことを信じているなら我々の生き方がそれを表しているか?
1.愚かであったパリサイ人
パリサイ人はサドカイ人とは違い、復活を信じていたがイエス様の復活は信じていなかった。
神の御業、神の栄光:多くの人々はイエス様を墓の中に閉じ込めたまま自分の好きなように生きている。このイースターの日、生きた神を受け入れませんか?
2.愚かであった弟子たち
「二人または三人の証言によってすべてのことは立証されなければなりません」。イエス様は3人の人の前で蘇られたことを伝えたにもかかわらず弟子たちは信じなかった。イエス様は弟子たちの不信仰を責めた。しかしその後「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」と言われた。
バヌアツ共和国の島が初めて発見された後、2人の宣教師が行ったが着いたとたん人食いにあった。その後誰も行きたがらずようやく行った人も7か月後に追い出された。1858年ジョンパットンと奥さんが行った。1年後に子供が生まれたが奥さんと子供は病死した。しかしジョンは宣教を続けた。バヌアツは今ではキリスト教国家となった。
我々はイエス様の復活を心の奥から信じているか?心の奥底から信じているなら、そのように歩んでいく。福音宣教をする。
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