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2021年04月28日23:35

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「少数派は弁えた主張をすべき理由」「強い言葉を使う人間は(議論が)弱い」

■「わきまえない障がい者」を叩く人たちが抱く「自由への恐怖」
(HARBOR BUSINESS Online - 04月27日 08:50)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=219&from=diary&id=6498742

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この藤崎剛人氏の結論部分を「わかりやすく明快に否定」していきましょうか。

>健常者とは配慮された結果バリアが消失した者のことであり、障碍者とは配慮されていないためバリアが残っている状態の者のこととなる。人間は法の下に平等であるので、こうした不公平は人権問題となる。つまり、エレベーター設置などのバリアフリーは特別な「恩恵」ではなく、実施されて当然の政策なのだ。
>常日頃から感謝することを強いられていることに疲れた障碍者を「感謝するのは当然」とバッシングする人々のおかしさもここにある。社会生活の中でバリアなく生きるのは当然の権利なのだ。

⇒理想は結構。で、現実にそれらの恩恵をもたらすためには「わざわざ一階のスペースを潰し、コストをかけて階段を設置する。」のと同じく、わざわざエレベーターを設置しなければならないのですがおわかりなのでしょうか?


>バリアフリーに感謝せよと主張する人々は、眼鏡で物を見たり、階段を上ったり、横断歩道を渡ったりしたときもその都度感謝して生活したほうがいい。そうしたものにいちいちありがとうと言っていないなら、それは自分が十分配慮されて生活していることに気づいていないだけなのだ。

⇒私は「メガネ」「階段」「横断歩道」にも相応に感謝していますが相手が物体なので感謝の言葉をいちいち投げかけてはいませんが、その都度感謝している私は「バリアフリーに感謝せよ」と主張する権利があるというお墨付きをいただいたということでよろしいでしょうかね(笑)。
また、藤崎氏は意図的に「物体のみ」を例示したのはなぜか? 伊是名氏や藤崎氏が「当然」とのたまうサービスを要求してたJRの職員の方々は「心のある人間」であり「物体」とは違うんですけどね。彼らは人間も物体も同様に見てるんでしょうか??? 
反対意見者の意見を極論化してたたきやすくして叩く論法の典型ですね。


>こうした批判内容から透けてみえるのは、批判者の「自分だって我慢している」という意識だ。障碍者差別解消法に基づく車いすユーザーへの対応の負担が現場の労働者に丸投げされてしまうのであれば、それは会社側の責任だ。にもかかわらず、批判の声は障碍者側に集中してしまう。おそらくその理由は、「妬み」の感情によるものではないだろうか。自分たちがモノを言いたくても言えずに我慢しているのに、障碍者が自由にモノを言っているのが妬ましいのだ。

⇒おそらく「妬み」だとはあきれ果てます。別に私(おそらくネット上での多くの批判的な方々)は「障碍者差別」はしていません。健常者でも当然に行うべき事前調査や連絡をせずに、理想の身を掲げて現実を無視した要求をし、あまつさえJRに謝罪要求をする「わきまえない伊是名氏」「それを擁護する藤崎氏」に対して異論を唱えているのですよ。そして私(やネット上の方々)はこの通り「自由にモノを言ってます」から伊是名氏を妬む理由がないことは秒で証明されていますね。


>そもそも自分たちの労働に対して支払われるべき報酬が低すぎるのではという疑問は、ここでは生じない。欲望を抑圧しながら慎ましく生きることを強いられている現代日本の市民は、常に自分たちの正当性を証明しようとしている。そこで、既存の社会システムのルールを前提にしたうえで、自分たちに支払われるべきリソースを「不当にも」奪っていると想定される、社会の(奴隷)道徳に対して従順ならざる他者が必要とされるのだ。

⇒その言葉、そのままこの藤崎氏や伊是名氏に返しましょうか(笑)。これまたわかりやすい「ブーメラン」でしょうね。
・この方々が「支払われるべき報酬が低すぎる」と思ってるから「バリアフリーは特別な「恩恵」ではなく、実施されて当然の政策なのだ。」などと言い放つのでしょう。
・この方々が「常に自分たちの正当性を証明しようとしている」「自分たちに支払われるべきリソースを「不当にも」奪っている」「社会の(奴隷)道徳に対して従順ならざる他者が必要とされる」と思ってるから、藤崎氏はこんな記事を臆面もなく書けるのでしょう。

*幾度か書いていますが「理想論を理想論という理由だけ」で私は否定しません。ただ、当該課題の場合は「社会的資源が有限であるという現実」を無視して、理想だけをわめきたてているので明確に否定するわけです。
民主主義社会では少数派こそ多数派の賛同を得て物事を進める必要があるので「謙虚で弁えた主張」をしたほうがよほど順調に物事は進むと思います。「実施されて当然」と居丈高に叫ぶ少数派に多数派の大半が「良い顔をしないのは当然のこと」でしょう。
強い言葉を使う人間は引っ込みがつかず、自身の誤りに気付いても前言撤回がしにくくなります。「強い言葉を使う人間は(議論が)弱い」のです。
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