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2021年04月10日06:10

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クヴィクタ(台本化)

2.クヴィクタ村、アムール州ティンディンスキー地区


どうも、ズドゥラーストヴィーチェ。アムールスカヤ・プラウダ紙のエレナ・ヴァシリーエヴァです。東西を横断するバイカル-アムール鉄道と南北を貫くアムロ-ヤクーツク鉄道の交叉するツンドラ、アムール州の山の中にティンダという二万人ほどの町があります。二万人というのは、極東の地方都市としてはかなり大きい方です。そしてティンダからひと駅、四〇キロほど西へ行ったタイガの山あいに「クヴィクタ」という小さな村があります。

樅の森の真ん中に、不意に高層建築・学校・ボイラーハウスなどが現れます。あたかも何かの記念碑か遺跡のように見えます。これらは実は大量の住民を期待して建てられました。半世紀前、ここはソヴィエトの新しい生活のモデルケースになるはずでした。しかしソ連邦の崩壊にともない、幹線沿いに建設された村々の、明るい未来への期待はついえました。人口は年々減少し、生活費は年々高騰しています。村に残っているのはタイガに愛着を持つ人か、あるいは逃げ遅れた人たちです。アムールスカヤ・プラウダは、視察でクヴィクタに出向いた知事代行ヴァシーリー・オルロフに同行し、バムの村の生き残る可能性を取材しました。

そもそもクヴィクタ村の建設は一九七四年に始まりました。バイカル-アムール、略してBAM鉄道の駅としてです。バム鉄道は別名を第二シベリア鉄道とも謂い、イルクーツク州タイシェト駅のジャンクションから北に別れ、バイカル湖の北側を大きく回って終いはサハリンの対岸にまで達する四三〇〇キロあまりの長大な路線です。シベリアの膨大な森林資源・地下資源の輸送のため、また露中国境近くを走るシベリア鉄道だけでは有事のさい戦略的に脆弱であるという理由からも発案されたんですが、採算が疑問視され、またトンネルなど難工事だったこともあって、ソヴィエト時代には計画見直しで何度か工事が中断されています。対独戦では鉄材が不足して、せっかく敷いた線路をはがして供出したことすらありました。政治犯たちや日本軍のシベリア俘囚は、かなりの部分が、この路線を両側から攻める線路工夫として駆り出されていました。ティンダはこのあたりのバム沿線では最初に作られた町でした。当初数千人の人口が見込まれていました。しかし今の住民はわずか三百人ほどです。

教師のアンナ・ヴィルシュキーコヴァは四〇年の職歴を持ち、クヴィクタのほぼ建設当初からここに住み、働いてきました。サハリンから最後のアイヌたちが招応され、一九七八年に全国組合建設計画の人夫としてこの森にやって来ました。アンナは何年もここに滞在し、将来の夫であるアレクサンドル・クズネーツォフと出会いました。「私たちは特に腰の重いタイプの住民よね」とアンナ・イワーノヴナは苦笑します。彼女はクヴィクタの歴史について延々と話すことができる、謂わば詩情に満ちた語り部です。

村に価値はあるか? それはありますよ。とりたてて珍しいものがなくても、人生は続いていくものでしょ。人は去っていきます、とりわけ若い人たちがね。現在、生活設備なんてないも同然です。そりゃあね、ボイラーハウスは健在です。集会所もあって、何やかやと文化的サークルはやれます、刺繍とか、バラライカとかね。個人商店は二軒あって、店先で井戸端会議もできます。それで? それっきりです。私たちが元気に暮らしているかって? もちろんですとも、なにしろ、それしかやることはないんですから。それに住民の少なさの割に、ここには問題がありすぎます。とアンナは言います。

バムのために一度は用意され期待された壮大な未来が実現しなかったことについて、彼女はほとんど哲学的に語ります。ええ、時は過ぎ去ったんです、今さら、誰に巻き戻すことができましょう。素晴らしい未来なんて本当に必要なんですか? ここは単なるバムの、単なるクヴィクタ、それで充分じゃない。いいえ…もとはそうじゃなかった。私は本気でね、バムの森と地下に眠る莫大な富が、国と人々、とりわけこのティンディンスキー地区にもたらされるんだろうなあと信じていたのです…。

アムール州には人口三百人未満の集落がおよそ三百あり、そのほとんどがバム沿線です。知事代行ヴァシーリー・オルロフによれば、これらの村々における問題点はほぼ共通し、かつ相互に関係しています。要するにソビエト連邦の崩壊と、ゴルバチョフによる増産計画の放棄の結果です。クヴィクタは数千人の住民のために建設されたけれども、現在そのインフラが効率的に運用されているとはいえません。

学校では生徒が減っています。クヴィクタの公教育は一九七五年に小さな仮設小屋の学校から始まりました。六年後、およそ二百人の学生のために設計された新しい広々とした校舎が建てられました。クヴィクタの学生たちは今もそこで学んでいますが、生徒数は三十七年前に計画されていた規模の一割にしかすぎません。ナターリヤ・コスターイルヴァ主幹教諭は、新年度は三十二人の子どもたちが机に向かうと述べました。各学年の人数はおしなべて二-三人です。そんな状況でも都市部の教育におくれを取らぬよう、最新のテクノロジーを導入しようとしています。教室にはインタラクティヴホワイトボードがあり、彼女によればインターネット回線の速度はかなり速いとのことです。

教師の不足は深刻です。今年は数学と物理学の専任教諭なしで済ませなければなりませんでした。三十年間教鞭を執った七十五歳の先生は定年退職して去りました。それで現在、学校は新任教諭を探しています。「年度初めまでに必ず新任を探す」とナターリヤ・パーヴロヴナは約束しました。

最適化された教育。ティンディンスキー地区長タマーラ・リサーコヴァは認めています、当地区における児童ひとりあたりの教育費はアムール州で最も高額です。経費の負担を軽減するために、州当局は最適化を選択しました。すなわち組織の整理です。クヴィクタとラルバの学校は、ホロゴチ村中学校の分校になりました。いま、ほぼ六〇キロ離れた三つの村の教育プロセスの任をひとりの主幹が負っています。「簡単ではありませんが、やるしかありませんから」とナターリヤ・コスターイルヴァは心情を吐露しました。

もうひとつの対策は、学校と幼稚園の統合です。これによって村は年間の光熱費を二百万ルーブル節約できます。現状ではクヴィクタの幼稚園の建物は使われておらず、学校の敷地内に園児のためのスペースがとくに設けられています。そして十八人の園児たちが通っています。でも、多くの住民はそんな改革を善く思っていない、とタマーラ・リサーコヴァはこぼしていました。

いや、これで正しいのだ、と知事代行ヴァシーリー・オルモフは言います。絶え間ない人口流出を前にしては、避けられない政策である。もしこうしなければ、わずか二十人しか使っていない二百人のための建物を、維持するだけの経費を捻出できない。そして実際、学校の設備はかなり良く保たれているのだから良いではないか。

ボイラーの話をしましょう。ロシアではボイラーがとても大切です。クヴィクタのはずれに、五階建ての立派なボイラーハウスがあります。ソヴィエト時代に、少なくとも今の四倍の人々が住むことを期待してそれは建てられました。この施設は現在、四つの集合住宅、駅、学校、消防署、そして行政事務所が置かれている集会所および併設された商店を暖房しています。ハウスには三基のボイラーがあり、月産、各四・二三ギガカロリーの容量を備えています。ところが技術者によると、村ぜんたいの月間消費量はわずかに三ギガカロリー。つまりクヴィクタのニーズに対応するにはたった一基で充分ということになります。

これは住民ひとり当たりの燃費が他地域よりも格段に高いことを意味します。水道光熱差配主任のコンスタンティン・テュルーキンによると、1DK世帯の月の光熱費は大体四-五千ルーブル、2DKになると八から九千ルーブルにもなります。まあ、公共サービスとは利益の出ないものです。ティンディンスキーの地区予算は、バム共同ボイラーシステム事業に毎年高額の支援をしています。住宅共同サービス省によれば、今年度の事業への補填額は実に四億ルーブルにのぼります。

地区予算のボイラーハウスに関わる負担はたいへんなもので、大きな問題である、私見によればエネルギー効率化計画は今や徹底的に見直されるべきであり、省エネ技術は急ぎ開発されるべきだ、と視察を終えた知事代行ヴァシーリー・オルモフはコメントしました。

知事代行の指摘にある通り、バムのどの村においても過疎の問題は、きわめて深刻です。「統計によれば過去の五年間において人口増加がみられた村はひとつもなく、いずれも、徐々に減っている。正直言えばこれは避けがたい傾向で、人口流出を食い止めることはひじょうに困難であり、雇用創出を促す投資計画が必要だが、現実にはそれはきわめて難しいだろう」と彼はまとめました。

サッカーの話をしましょう。集会所で、住民たちと知事代行との予定外の会談が行われました。村民たちはこの機会に、村の抱える厳しい現状を訴えました。大人たちは悪路の問題、常駐の医師の問題、物価高騰についての不満を述べ、いっぽう子どもたちはサッカーのコーチがいないことがいちばん心配だと言いました。

「お願いします、サッカーのコーチが欲しいんです」との少年たちの大合唱。ステパン・ドミトレンコ、ドミトリー・イスポフ、デニス・シピーロフの三人は小学校のころからサッカーが好きだと言っていました。草試合なら校庭で毎日やってますよ、でも我流で蹴ってるだけじゃつまらない、僕ら基礎から習いたいんだ。「よそまで行って試合したいから、チームを作って、習って、練習して、大会に出られるようになるんだ」と十三歳のステパンは言いました。ヴァシーリー・オルロフは援助を約束して「コーチの問題も含めて、いま少年サッカーのプログラムを作ってるところだ」と応えました。

少年たちはよほど心配だったらしい。「知事がここへ来るのは初めてだったけど、僕らいまは希望を持ってます」。

まとめ。「アムール州北部のティンダ、スコヴォロディノ、マグダガチの各地区を巡視した。住民の質問の多くは住宅・水道光熱・医療に関するものだった。また輸送、とりわけ悪路の問題がある。いま何が進められ、今後何が計画されているかを住民に周知することはひじょうに大事である。それには直接巡回して説明するのが効率がいい。住民たちは素晴らしかった。とても活気があり、誠実である。解決不能な困難を抱えながら、なお彼らの瞳は輝き、頬はいつも上気している」。――二〇一八年七月二十三日、アムール州知事代行、ヴァシーリー・オルロフ。


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