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2021年04月07日23:22

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話題にもできず議論が深まらないことへの危惧

■たまひよ、「主人」「旦那」やめた TDL園内放送も…
(朝日新聞デジタル - 04月07日 16:05)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6475479

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「差別はよろしくないし、区別は良い」という点には大半の方の異論がないという前提で進める。

ではどこからが差別なのか? ここについては線引きが非常に難しく、多岐にわたっているように見受けられる。

「小学校でのあだ名禁止」「オリンピックの森氏の発言」「オリンピックの佐々木宏氏の渡辺直美氏に関するアイデア発言」を聞いた時、あるいは最近の「伊是名夏子さんの熱海の来宮での車いす対応の話」などなど。

まずは「話題にすること自体を禁じるような考え」に対しては異を唱えたい。すでに書いたように線引きが難しいことになっている時点で、意見を持っているなるべく多くの人が自分の考えを出さなければ「線引き」自体ができない。

また、一連の言動にどのくらいの差別の意図や影響、被害があるのかは考えるべきだろう。「差別用語そのもの」よりも「発言者が込めた意図」や「言及された人間や第三者がそれをどう感じるか」を総合的に勘案しなければならないと思う。「差別的思想をいかに防ぐか」が本質であって、差別の1手段にすぎない「あだ名」を禁じてもあまりいみがないのではないか。

以前、アメリカの銃社会に対して議論をしたことがあるが「銃」を禁じるのはかなり意味が大きい。主要な用途が「殺傷」だからだ。その時議論した相手は「ならば人をひき殺す自動車や刺殺できてしまう包丁も禁じるべきなのか」と言っていたが、自動車の主用途は人や物の運搬だし、包丁の主用途は調理だから異なると答えた覚えがある。

「あだ名」も主用途が差別することではないと感じるわけだが、ここの感じ方については様々な感覚があるだろう。

本記事にあるディズニーの「性別に関する表現」自体は日本語でいうと「主人さんと奥さん」みたいなものなのだろうか? 言葉自体に様々な意味が付随してきてしまうことは否めない事実だが、言葉そのものを規制してしまう事よりも、その根幹にある差別的な思想にアプローチする方法を何とか探れないものかと思案する。

・・・残念ながら現時点では具体的なアイデアには結び付いていないので「代案なき考え」であることは否定できないんだが。「言葉」だけを対象にする動きはどうにもしっくりこないんだよなぁ。
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