しばしばみられる表現で「自分の正解を他人にゆだねるな」というのがあるが、私見では「言葉足らずの表現」だと思っている。
「自分の正解」というところが少し足りてないというか。
とりあえず「自分の判断」という意味と「その結果発生する事象」という2分割してみる。
「自分の判断を他人にゆだねることはできるがすべきではない」
「生じた結果を他人に肩代わりしてもらうことは不可能。自分で引き受けるしかない」
たとえば道を渡ろうとしていて信号が青で渡ろうと思ってたら横にいる友人が「あの車、速度落とさずに近づいてるから渡らないほうが良いよ」と言ったとする。
判断は「渡る」「渡らない」の2種類。結果の前に発生する事象としては「車が信号無視して暴走してくる」「車が信号に気づいて止まる」の2種類から派生していくものとする。
「判断」渡る⇒「事象」暴走してくる⇒「結果」車に跳ねられる
「判断」渡る⇒「事象」車が止まる⇒「結果」安全に渡れる
「判断」渡らない⇒「事象」暴走してくる⇒「結果」命拾いする
「判断」渡らない⇒「事象」車が止まる⇒「結果」信号を渡るタイミングが遅れる
というところか。
他人の意見は参考程度に耳を傾けるにしても、自分が主人公の人生は自分がすべての責任をもって生き抜かなければなるまい。
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