mixiユーザー(id:2223977)

2020年12月28日01:15

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Windows(Microsoft)と Mac(Apple)は何故(なぜ)一つに成り得ないのか

仮想化ソフトなんて間接的な手法を使わなくても
最初から
Windows 用のソフトでも
Mac 用のソフトでも
稼働できるパソコンが
あればいいのに

どうして
どっちでも使えるコンピュータは
存在しないのだろうか。

ここで急に哲学の話をすると
嫌がられるかもしれないけれど
物事を(個別的なことや特殊的なことでも)普遍的に考えようとすると
哲学が一番役に立つし
自分には解りやすいので
自然とそうなる。


Windows と Mac の
両方を使えるコンピュータが
なぜ存在しないのか
ということなんだけど

普通は
Windows は「ビジネス向け」
Mac は「動画編集や音楽制作や DTP などクリエイティブな作業向け」
と区別されるように

人の
悟性(理系的思考回路)

感性(文系的思考回路)

具体的な個人において
「どちらかに偏った能力として最初から与えられている」
場合が
ほとんどだ。

例えば
高校で
「文系か理系か」
を選択するように

「理系の科目、数学や物理が得意な人は
 国語が弱く」
「文系の科目、国語や哲学が得意な人は
 数学が弱い」
という場合が多い。

どうしてそうなのかは
わからないけれども
「論理的な思考力の強い人は
 直観的な創造力が弱い場合が多く」
「直観的な創造力が得意な人は
 論理的な思考が苦手である場合が多い」。

なので
「論理的な思考力(悟性)と
 直観的な創造力(感性)との
 両方が同じ程度に優れている人」

「天才」

呼ばれる。

そういう意味では
コンピュータの世界では
まだ「天才」が
出ていないのだろうか。

カントは
人間の能力を
悟性と感性に峻別して
それらが
「統合」された能力を
「理性」としていた。

そして
「悟性」と「感性」を
「統合」して「理性」とするのは
「産出的構想力の図式機能(図式的直観)」だと
カントは考えていたと思う
超越論的図式論:悟性と感性の共通の根としての超越論的構想力=産出的構想力)。

だとすると
「悟性と感性を
 産出的構想力の図式機能によって
 統合して
 ア・プリオリな総合判断が可能な
 理性」
を備えた
「コンピュータ」

「未だ存在していない」
ということになる。

まあ
コンピュータは人間ではないし
(作っているのは人間だが)
人間でさえ
「悟性と感性を統合して
 悟性と感性を対等に使って
 ア・プリオリな総合判断を行使する
 カントの意味での理性を
 実現できている人」

稀(まれ)なのだから
その人間
(悟性か感性の
 どちらかに偏った能力だけが
 アンバランスに発達している生身の人間)
が作る
コンピュータが

「悟性に偏っている(Windows)か
 感性に偏っている(Mac)かの
 どちらかしか
 存在していない」
のは
仕方がないのかもしれない。

昔 Epson が
98のコンパチ(互換機)を
作っていたことがあったけれども

どこか
Windows と Mac の
「両方のコンパチ(互換機)」

作らないものだろうか。

まあ
もし作ったとしても
Windows 側からも
Mac 側からも
訴えられるだろうし

そもそも
Windows を使っている人や
Mac を使っている人に
受け入れられるかどうかも
わからない。

現実的には
「WindowsマシンとMac の
 両方を所有する」
ことで
「Windows か Mac か」の
「問題」は
「解決」するのだが
そこには
「経済的な問題」が
生じて

実際には
両方を
(しかもどちらも
 「メイン機」として使えるほど
 「高性能機」を)
揃えるとなると
「金銭的に無理」
な場合が多いだろう。

しかも
両機の「結合度」も
Mac の「AirDrop」や「SideCar」の「機能」のように
「Mac と iPad と iPhone を
 まるで一つのコンピュータのように
 データの移動や利用を
 自由自在に行える」
仕組みは

Windows 機と Mac を
両方揃えている場合には
実現しない。

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最終更新
令和2(2020)年12月29日 午前3時05分
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