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2020年12月20日04:38

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他人の悪態を突くことよりも、自分の欠陥を見つめて直すことの方が、深いし最優先なのではないか

「人のふり見て我がふり直せ」
(他人の性行(せいこう=日常の性質とおこない)の善悪を見て、自分の性行を改めよ)
という
諺(ことわざ)があるが

普通、
人は
「他人の悪いところにばかりに
 目が行って
 他人の悪口を言ったり
 他人を批判すること」

簡単に出来る
のだけれども

自分の悪口を言ったり
自分を批判する人は
まず居ない。

ただ
自分を悪く言ったり
自分を批判するだけで
その
悪く言ったり批判している
自分自身の
「悪いところ」や
「批判すべきところ」を
改めなければ
意味がない。
(なぜなら
 自分のことを自分で悪く言ったり
 自分のことを自己批判するだけでは
 「どうせ自分だけが悪いんだ」とか
 「私が我慢すればいいのね」と
 思い込むことになり
 終(しま)いには
 自己肯定感が無くなり
 自殺念慮が生じて
 自殺してしまうことに
 なるだろうから。

 自殺も
 一つの解決方法だと
 思えるかもしれないけど

 自殺は
 他殺と同じで
 命を大切にしない
 という観点からも
 また
 問題の解決方法という
 観点からも

 理想的な解決方法だとは
 考えにくい
 から。)

自分を
しっかり見つめて
自分の悪いところ
(単に「行為」や「振る舞い」だけでなく
 「心の奥に根付く、自分では変え難い傾向性」や
 「体の中で巣食う、自分では気づきにくい病」等)

必ず治した方(ほう)が良い。

手遅れになってから
後悔しても
遅いから。
(「心の病」の場合は身を滅ぼす結果を招来しかねないし
 「体の病」の場合は死ぬことになるだけだから)

問題は
けれども
他人が直接
自分に
害を与えてきて

しかも
その他人が
自分の言うことを聞かず
さらには
その他人の悪行を
誰も止めてくれないし
止めることもできない
場合である。

そして
他人の悪行から
離れても

自分の中で
そのことを考えると
ずっと心が苦しい状態が
続く。

この
「持続する心の苦しみ」
から
解放される
一番の方法は
他人が悪行を反省して
改めてくれることなのだけれども
それが「不可能」な場合が
問題だ。

つまり
「自分を苦しめる存在が
 存続しているままで」
自分の心が
解放される方法が
なければ

上記のような場合

心の健康が
持たない。

そのための
自律性療法だし
その為の
さまざまな
精神医療
なのだ。

だからこそ
 
心身医学の自律性療法が存在しているのだし
(自律性療法の存在理由なのだし)
精神医療が存在しているのだ。
(精神医療のレーゾンデートルなのだ。)

精神医療は
苦しめている当事者である
他者へと向かわない。
(自分を、または多くの人を
 苦しめている個人、または団体や組織や権力構造へと
 向かうのは
 弁護士であろう。
 しかし
 弁護士に頼めば
 必ず自分を苦しめている
 他者存在に
 自分を苦しめないように
 してくれるか
 といえば
 それは
 法律の限界内で
 決まることであり
 苦しむ当事者の苦しみを
 根こそぎ治癒してくれるような
 弁護士に出会えるとは限らない。)

精神医療は
苦しんでいる当事者の
心の解放へと向けられている。

精神医療者は
(あるいは
 宗教家も
 哲学者も
 同じだが)
苦しむ患者(人々、自分も含め)を
救えなければ
藪(やぶ)医者だ。

精神科医であれ
弁護士であれ

自分の苦しみを
救ってくれる人を
自分以外の人に
探している限り
(つまり
 他者依存である限り)

本当に自分の苦しみを
解放することは
できないだろう。

一番いいのは
自分自身の力だけで
自分の苦しみを解放することだ。

宗教の本領は
自分自身の苦しみを
溶かしてくれる超越者が
自分自身の内部の奥深くで
発動する体験を得て
自分自身の苦しみが
溶けて消えて無くなるように
出来ることだ。

宗教体験とは
自分自身の内部の深部に
「絶対の他者」を
見出すことであり
同時に
その
「絶対の他者」が
「自分自身の直径の全祖先の意志」
だと後から気づくことであり
そうして
その
「絶対の他者」の
「絶対」が
「自分自身との隔絶」を意味しているのではなく
「自分自身との繋がり(絆)」を意味しているということに
後に
気づくこと
である。

その意味で
つまり
「他者に頼らず
 自分自身で
 しかも
 自分の主観的な意識ではなく
 自分の中の神(内在超越者)によって
 自分の苦しみを
 (心の苦しみを根こそぎ溶解するので
  心を根源とする体の病も)
 治癒する
 という意味で」
宗教のみが

自分の苦しみを
自分自身の力だけで
癒せる道(方法)だと
言うことができる。

その上で
医療や
法廷闘争(紛争の法律による解決)が
加わることで

現実問題は
最も理想的な形で
解決してゆくのだろう。

破壊的な方法
(戦争を最たるものとする
 暴力的な解決方法)
による解決も
実際には
起こりうるし
起こってきたし
そう
成らざるを得ないケースも
ないわけではないだろうけれども

誰も暴力を
望んでいないし
誰も人を傷つけることを
望んではいないだろうし

誰も
自分の苦しみを解放する為に
自分以外の多くの人の苦しみを
生み出すことを
望まないだろうから。

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最終更新
令和2(2020)年12月20日 午前4時53分
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