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2020年11月07日18:40

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水戸室内管弦楽団第106回定期演奏会

11/1日曜、水戸芸術館で水戸室内管弦楽団(MCO)第106回定期演奏会を聴いてきました。コロナ禍にあって、今年、5回目の音楽会。これまでの4回(エリソ・ヴィルサラーゼ、仲道郁代、藤田真央、川口成彦)はすべてピアノリサイタルだったので、オーケストラの生音を聴くのは今年初です。本公演もコロナ配慮ということで、弦楽奏者だけ(指揮者なし)で演奏できるプログラムとし、かつ聴衆も隣同士にならないような市松配置になっていました。
MCOの22人のメンバーは、ソリストあるいは在京オーケストラのトップ奏者を集めた先鋭の音楽家たちです。アンサンブルは緻密で、弦の音がいつもよりよく鳴って聞こえました。私、それなりに楽しめました。しかし、上手すぎるメンバーが揃っていることで、そつなくスマートに演奏をこなす感じもあり、いまひとつ心を鷲掴みにされるようなものがありませんでした。ちなみに演目は以下の3曲。

ブルッフ作曲(フィードラー編曲)
コル・ニドライ作品47 (弦楽合奏版)
○チェロ独奏:宮田 大

ベートーヴェン(マーラー編曲)
弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調「セリオーソ」 作品95 (弦楽合奏版)

ストラヴィンスキー
「ミューズを率いるアポロ」

演目は、マニア度がまあまあ高いものでした。公演3曲が日本の伝統的な三段構成を感じさせる「序破急」あるいは「守破離」といった概念が当てはまりそう。通しで聴くと、この3曲の構成には、祈り→厳粛→調和という流れが感じられました。それと前半の2曲「コル・ニドライ」「セリオーソ」は、弦楽五部で演奏できるように編曲版が使われました。

1曲目のブルッフ作曲「コル・ニドライ」は、なかなか良かった。この曲にはユダヤの旋律が用いられていて、宮田大氏はチェロでそれを切々と歌っていました。いや歌っていたというよりも語っていたという方がいいでしょう。コロナ禍で亡くなった方々の追悼の気持ちが感じられました。聴いていて厳粛な気持ちになりました。実際、コロナ禍で亡くなったコメディアンの志村けん氏の顔も思い浮かびましたから…。この曲は管弦楽版から弦五部に編曲されていましたが、原曲より簡素な響きで良かったです。

2曲目のベートーヴェン作曲弦楽四重奏曲 第11番 「セリオーソ」 は、マーラーが弦楽四重奏から弦五部に編曲したもの。「セリオーソ」は“真剣”という意味です。英語ではシリアスの相当しますね。原曲との大きな違いはコントラバスが加わることです。重低音によって響きの重心が下がることで、とても落ち着きがある響きになっていました。しかし原曲が持つ荒々しさや激しさが失われていました。やはりカルテットで聴きたい曲です。例えるなら、苦いエスプレッソが飲みたかったのに、マイルドなカフェオレが出されたイメージでしょうか。

三曲目のストラヴィンスキー作曲「ミューズを率いるアポロ」。もとはバレエのために作られた音楽。コントラバス以外のすぺてのパートが分かれていて計11パート。道理で繊細で複雑な弦の響きがしました。音楽そのものがダンサーの動きとシンクロするような簡潔さがあり、なおかつ地中海の乾いた心地よい空気感で耳が洗われます。ギリシア神話に通じる典雅さもありました。ストラヴィンスキーの代表作「春の祭典」とは真逆の音楽ですねw。

それと今回の演奏会では、あまりできない経験をしました。それはコロナ配慮で観客数を半分以下に制限したことによるホールの音響感の違いを聴けたからです。実際、弦楽合奏の響きは、いつもよりも残響が長めでよく鳴っているように感じられました。この理由は、聴衆が少ないため、音を吸音する着衣の要因が減るので、残響が長めになることです。MCO定期は、いつもほぼ満席になります。だから私が聴いた入場者数制限をしたこの日は、いつもよりも音響感がよいと感じるのは自然なのです。聴衆が多い方が音楽会は盛り上がりますが、逆に少ないと音響がよく聴こえるというアンビバレントな思いも同時に感じました。
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