mixiユーザー(id:32437106)

2020年10月31日23:54

792 view

10//31 満月のハロウィン withコロナ時代の博物館(3)横浜みなとみらいライド ユーラシア文化館で中央アジアの歴史を学ぶ トワイライト夜景万国橋 サマルカンド ソグド人 新横浜公園の治水能力

今日はハローウィン、首都圏は朝方から青空が広がっています。午前9時時点の気温は15度、湿度は40%台、箱根の山々の間から雪をかぶった富士の頂が顔を出しました。

 コロナの影響により、ハローウィンといえども自粛ムードが広がっています。今夜特別なことが3つあります。

・1974年以来46年ぶりにハローウィンの日に満月
・満月としては今年最小の大きさ
・ひと月に2度目の満月ブルームーン

 詳細 https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=174&from=diary&id=6289120

 写真=2018年3月31日に稲城市みはらし緑地で撮影したブルームーン
関連日記 みはらし緑地 ブルームーン
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965884917&owner_id=32437106
フォト

 次回ハローウィンの日に満月になるのは38年後の2058年です。今年は日本各地でオンラインを中心に特別企画が実施される予定です。若者の町渋谷では、警察官が配備され、緊張状態に包まれています。例年に比べて、仮装する人の姿は少なかったようです。


リンク
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=6289906

 生物学では、興味深い発見がありました。名古屋大学の研究チームが、原始的な海底生物のウミユリが、2億5000万年前から自切を行っていたと、発表したのです。自切とは、体の一部を自ら切り落とす行為をさします。我々の身近なところでは、敵に襲われた際のトカゲの尻尾切りが相当します。

駿河湾で現存するウミユリと、米国の2億5000万年前(地質年代で三畳紀)の地層に埋まっていた化石との類似性から、今回の発見に繋がったのです。現存するウミユリは、触手を伸ばして、珪素やプランクトンを引っ掛けて、口に運びます。天敵の魚が迫ってくると、一本の触手を切り落として逃げるのです。魚は、左右に揺れる触手に目を留め、獲物を見失ってしまいます。

 研究チームは、自切の起源を遡るため、さらに古い年代の地層を調べたい、と目標を語りました。

詳細
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6289646

 見本写真

 左側と真ん中 夜景万国橋(本文とは異なる写真を使用)

 右側 神奈川県立歴史博物館で展示された相模人形芝居(本文未掲載)

 今回は、神奈川県横浜市の西区と中区に跨るみなとみらい地区と中区の根岸地区周辺の観光施設を紹介します。

 10月25日(日)に朝から自転車に乗って訪問しました。全3章で構成されています。

 訪問場所           公式リンク

・新横浜公園 https://www.nissan-stadium.jp/shinyoko-park/
・神奈川県立歴史博物館 http://ch.kanagawa-museum.jp/
・根岸森林公園 馬の博物館 https://www.bajibunka.jrao.ne.jp/uma/
・イタリア山庭園 http://www.hama-midorinokyokai.or.jp/park/italia/
・みなとの見える丘公園 https://www.welcome.city.yokohama.jp/spot/details.php?bbid=182
・山下公園 https://www.welcome.city.yokohama.jp/spot/details.php?bbid=190
・ユーラシア文化会館 http://www.eurasia.city.yokohama.jp/
・夜景 万国橋 夜景FUN https://yakei-fan.com/yakei/kanagawa/bankokubashi.html

 目次

・第1章 新横浜公園と港の見える丘公園

・第2章 ユーラシア文化館にて 中央アジアの歴史を学ぶ 消えたソクド人について

・第3章 万国橋でトワイライト夜景撮影 2020年のみなとみらい周辺地区の観光を振り返る


                 第1章 新横浜公園と港の見える丘公園

10/25(日)今年2回目、8月2日(日)以来、2か月半ぶりに横浜みなとみらい・根岸地区に向かって、長距離ライドを決行しました。電車を使って訪問した8月9日(日)を含めると、同地区の観光は、今年3回目になります。

 朝から雲ひとつない快晴に恵まれました。横浜上空には、微妙に雲がかかっていたとはいえ、昼過ぎにはすっかり取れてしまっています。日中の気温は20度、秋らしくさわやかな一日でした。

 
 朝一番に向かったのは、日産スタジアムのすぐ脇に広がる新横浜公園です。治水(ちすい)対策として整備された多目的遊水地は、テニスコートバスケットコートやドッグラン広場の脇に葦原が生い茂っています。朝早く、若者から中年まで、コンクリートで固められた舗装された道でジョギングに励んでいました。昨2019年10月12日(土)、遊水地としての機能が最大限に発揮されました。大型の台風19号が関東に直撃した際、首都圏の河川が危険水域に達します。鶴見川も例外ではありませんでした。川沿いにも住宅街が建設される中、一度氾濫すると、被害は拡大します。過去に鶴見川が繰り返し氾濫した歴史から、未然に防止するべく、治水能力を高めました。一定程度川の水位が上昇すると、遊水地となる新横浜公園に流し込み、一時的に蓄えました。現に公園内に植えられた葦は、水の吸収作用が高いのです。

 翌13日(日)、公園は浸水していたものの、日産スタジアムの方は無事でした。地下駐車場まで水が流れ込んだとはいえ、ピッチには影響がなかったのです。その日午後8時からラグビーのWカップ、予選リーグ最終節、日本 対 スコットランド戦が行われました。試合は、日本代表が、28対21でスコットランドに勝利し、史上初となる決勝トーナメント進出を決めたのです。一連の快挙を支えたのは、遊水地でした。

 参考ページ https://blog.goo.ne.jp/imssr_media_2015/e/bd81d3d157f0beae350353e70eed9186

 写真掲載元 2019年10月15日 産経新聞 試合に勝利し喜ぶ松島幸太朗(左)ら日本代表=日産スタジアム(松永渉平撮影)https://www.sankei.com/entertainments/news/191015/ent1910150001-n1.html
フォト



2020年10月25日、公園内の貯水池には、カモの姿がなく、どこかひっそりとしています。2018年1月には、貯水池でツルシギとクビワキンクロのメスを撮影しました。

 新横浜公園で撮影した写真を公開します。

 私の自転車と日産スタジアム
フォト


 貯水池とテニスコートの間にあるコスモス畑
フォト

 紅葉するコキアと日産スタジアム
フォト


 貯水池から新横浜プリンスホテルを望む
フォト


 新横浜公園は、毎年冬場に珍しい鳥が出現しています。ミコアイサのペアの越冬地としても定着しているようです。クビワキンクロのメスに関しては、2018年1月に飛来したものの、以降確認例はありません。同じ都市の3月には、およそ20km離れた町田市北部薬師池公園でも確認されました。同一個体かどうか、定かではないものの、新横浜公園から抜けた後、薬師池公園で観察されています。

 下記の個人ブログにて、2つの場所で撮影されたクビワキンクロのメスと共にメジロガモのオスの写真を掲載しています。ブログの書き手も、同一個体か比べています。

 Bird hearling https://healing330.exblog.jp/29345422/

 次に珍しい鳥が飛来することを期待し、およそ20分余りで公園から離れました。

 関連日記 2018年1月15日付け 横浜の野鳥 オシドリ、ツルシギ、ハシビロガモ 証拠写真https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964706441&owner_id=32437106

 関連日記 2018年1月21日付 新横浜公園に生息する珍鳥クビワキンクロとハシビロガモ 証拠写真 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964799712&owner_id=32437106

 上記の日記からクビワキンクロのメスの写真
フォト

 今年の8月9日(日)に続き、神奈川歴史博物館でおよそ2時間30分余り見学した後、山手通りを経由して、丘の上に位置する根岸森林公園内の馬の博物館に向かいます。

 館内で開かれている展示会は、貸し資料が多い影響から、今回は全面撮影禁止マークが出ていました。

 博物館前の景観を1枚紹介します。
フォト

 根岸森林公園内の馬の博物館から山手通りを下り、港の見える丘公園を目指して、自転車をこぎます。

 途中山手西洋7館のうち、イタリア山庭園内の外交官の家とブラフ18番館を訪れました。

 例年西洋館では、冬場のクリスマスと共に、10月はハロウィーンの飾り付けが行われています。今年は、全面的にイベント類は中止になっています。

 なお西洋各館は、簡単な装飾を施しています。館内に入るうえで、追跡調査用の用紙に名前と連絡先を記入すると、短時間見学できます。撮影の方は禁止されていました。

  外交官の家の外観 入り口側
 
フォト


 
フォト


  外交官の家の外観 裏側
 
フォト


 ブラフ18番館の入り口
 
フォト


 続いてみなとの見える丘公園で撮影をしました。

 展望広場
フォト

 園内は一面バラの花で彩られています。

 品種 セントオブヨコハマ
フォト


 品種 フラゴナール
フォト


 港の見える丘公園は、カップルが集う場所としても知られています。ベンチでくつろぎながら、ゆったりと話し合う若い男女の姿があります。私と同じように、サイクリングの途中に立ち寄り、小型のカメラで撮影する青年、小さい子連れの家族も見かけました。

 涼しい風が吹き寄せる高台の公園から自転車に乗り、谷戸坂を下って、港沿いの山下公園に行きます。

 敷地の1角には、バラ園が設けられています。

 フォト
フォト
フォト

 バラ園は港に面しているものの、生垣によって潮風が遮られています。10月20日以降、陽差が戻ってきた影響で、バラの花が咲き出しました。

 なお港の見える丘公園では、夏でも春バラが残っています。

     第2章 ユーラシア文化館にて 中央アジアの歴史を学ぶ 消えたソクド人について

 最後に訪れるのは、8月2日(日)にも見学したユーラシア文化会館です。3階の一室で「杏咲く頃― 絵筆と歩いたシルクロード 小間嘉幸絵画展」が開催されています。

 撮影は全面OKでした。印象に残った作品を写真に記録しました。

 作品名 ユルギップの穴居 トルコ カッパドキア
 
フォト


 作品名 バーミヤンの石仏 アフガニスタンの世界遺産
 
フォト


 トルコのカッパドキアは、火山灰が堆積して作られる凝灰岩台地です。脆くて崩れやすく、雨による侵食が進みます。人がシャベルを使うと、簡単に穴を広げることができます。住居としても利用され、朝晩温度差が少なく、快適に過ごせるそうです。1985年には世界遺産に登録されました。

 詳細ページ https://www.hankyu-travel.com/heritage/turkey/cappadocia.php

 一方、アフガニスタンの世界遺産バーミヤンの石仏は、標高2500mのバーミヤン渓谷にあります。現地では、1979年の旧ソビエトの侵攻により、内戦が続き、歴史遺産の破壊行為が進みました。国内情勢の混乱に乗じて、イスラム原理主義を唱えるタリバーンが、1994年頃から勢力を伸ばしました。歴史的な石仏は、2001年当時に政権の座についたタリバーンによって破壊されたのです。現在、日本を含め、国際的な修復プロジェクトが始っています。

 作者小間嘉幸は、実際シルクロードを旅しました。アフガニスタンやウズベギスタンのサマルカンドとブハラ、さらに西側のトルコを訪れ、その土地で出会った人々や植物をスケッチしていました。

 写真=サマルカンド レギスタン広場 掲載元 Travel Book 【ウズベキスタン】青の都サマルカンドの観光ガイド:世界遺産を旅行しよう
https://www.travelbook.co.jp/topic/14092

フォト

 作者が訪れた町のひとつ、ウズベギスタンのサマルカンドは、シルクロードのオアシスとして栄えた都市です。現代世界では、中国の絹やインドの香辛料、シベリアの毛皮などが売買されていました。

 展示された作品 サマルカンドの丘
フォト


 関連日記 2019年1月14日付け AFCアジアカップ企画3 次節日本の相手ウズベギスタンの青い都サマルカンド https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1969987733&owner_id=32437106

 ウズベギスタン第2の都市サマルカンドは、歴史学者から熱心に調べられています。紀元前329年にかの有名なアレクサンドロス大王が、東方遠征の過程でこの地に訪れていました。いつからか、イラン系のソグド人が定着し、シルクロードの交通要所として発展させます。歴史学では、ソグド人による交易で栄えた町のことを「ソグティアナ」といいます。主にアラル海に注ぐ大河、アム川とシル川に挟まれた地域のことを指すのです。

 8世紀以降トルコ系民族に支配され、ソグド人はシルクロード沿いの町から追われる運命になります。トルコ系民族は、イスラム教を根付かせました。アム川からサマルカンドにかけての一帯は、マー=ワラー=アンナフル(川向こうの土地、の意味)と呼ばれます。

 写真掲載元 世界の歴史まっぷ 突厥・ウイグルとソグド人 https://sekainorekisi.com/world_history/%E7%AA%81%E5%8E%A5%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%82%BD%E3%82%B0%E3%83%89%E4%BA%BA/
フォト


 10世紀にはカラハン朝が勢力を伸ばすと、中央アジア一体でトルコ化が進みました。トルコ系民族が、パミール高原をはさみ、東西に定住したのです。トルコ系民族をトルキスタンといいます。トルコ系民族居住区の東端が、中国のウィグル自治区まで及んでいます。中国から弾圧されている彼らは、民族意識が高く、「東トルキスタン共和国」として独立を願っています。

 サマルカンドは1220年にモンゴルのチンギス・ハンにより征服され、大虐殺の被害にあいました。1370年に英雄ティムールによって荒れ果てた町が復興します。イスラムの礼拝モスクや学校が建設され、市民に教育の機会が与えられました。商業と共に学問も栄え「トルコーイスラーム」文化が切り開かれました。

 写真=サマルカンドのティムールの妻の名を冠したビービー・ハーヌム・モスク 掲載元 レギスタン広場と同じ
 フォト

 さてサマルカンドの先住者といえるソグド人ですが、歴史上で突然姿を消してしまっているのです。行方を捜すため、歴史学者はソグド人が残した謎を紐解いています。手がかりは、彼らが残した遺跡と共に、現代人の言葉にあります。ソグド人が書いたとされる文字を読むと、現代のタジキスタンにほとんど同じ言語を使用する民族が存在するのです。

 写真 掲載元 NHK シルクロード 謎の民 大峡谷に生きる https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009051005_00000
フォト

 タジキスタンの首都ドゥンジャベから北へ80km、標高3000mのヤグノブ渓谷にその民族が暮らしています。ヤグノブ人の人口は2万5000人、イスラム教スンニ派であるものの、ソグド人が信仰するゾロアスター教の教えを受け継いでいました。ソロアスター教は、イランのペルシャで紀元前1200年から1000年に生まれたといわれています。
 
 参考 世界史の窓 https://www.y-history.net/appendix/wh0101-116.html

奥深い渓谷で定住するヤグノブ人は、21世紀の今なお、電気や水道を使っていません。荒れ果てた土地で羊やヤギなどを放牧しながら自給自足に近い生活をしていました。麓の町とヤグノブ渓谷にある集落との間は、道らしい道が出来ていません。険しい山合の渓谷で生き続けるヤグノブ人は、秋に首都ドゥンジャベを中心に町まで降りてきます。家畜の肉や毛皮を売り、現金を得て、生活に必須な保存用の塩を手に入れます。10月から4月までの半年は雪に閉ざされ、放牧ができません。自分達の手で育てた家畜を屠殺解体し、肉を食べて、長い冬に備えていました。

 写真 掲載元 不易流行 備前・旭川の憂鬱 (「シルクロード 謎の民 大峡谷に生きる」 19-08) https://ironbridge-uk.blog.ss-blog.jp/2019-01-15
 フォト

 現地ヤグノブ人と古代ソグド人では、共通する言葉が沢山あります。

 ソグド言で数字の3=スライ、一方野生動物=ナクシール、ヤグノブ語で数字の3のことはサライ、野生動物はナクシールと全く同じです。女性=インチ、男性はマルティ、与える=スバル、聞く=パトゴーシャルと共通していました。二つの言語では、350以上の単語が重なっているのです。言語の類似性と残された文献からソグド人の末裔が、ヤグノブ人と考えられるようになりました。ソグド語は、11世紀以降消え去っています。

 中央アジアには秘められた謎が沢山あるのです。今もなお歴史学者は、シルクロード周辺地域から、古代民族と現代人のつながりを求めて、探求しています。

みなとみらい線の日本大通駅構内に位置するユーラシア文化館は、昨年まで常設展を含め、原則写真撮影は禁止されていました。2020年以降、規制が緩和され、常設展に続き、今回の企画展も撮影が認められたのです。

 運営側は、今後も国際化社会を見据え、新たな企画を練り続けています。

 写真=2019年6月6日に撮影した「装いのチャイナ展」の撮影コーナーより
掲載日記 6/6(木)2019年第2回目 横浜ライド(続)馬の博物館、三渓園、川和富士公園
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971858072&owner_id=32437106

フォト

  第3章 万国橋でトワイライト夜景撮影 2020年のみなとみらい周辺地区の観光を振り返る

 ユーラシア文化館から外に出たのは、閉館前の午後4時30分前でした。空は明るいものの、陽差は弱くなっていた。トワイライトタイムは午後5時11分から始まります。

 1,5km先のランドマークタワーまで向かったものの、入場規制により、展望台まで上がることを諦めました。

 夜景撮影の舞台は、2018年1月21日(日)以来、2年9ヶ月ぶりに万国橋になります。

 みなとみらい線の馬車道駅と、ワールドポーターズとその脇の赤レンガ倉庫を繋ぐ通り沿いに位置しています。目の前の運河には、時折小型船が通ります。

 午後4時50分、道行く人々は、橋の上で立ち止まり、スマホのシャッターを切っては、離れていきました。午後5時5分を越えると、夜景撮影のため人だかりができます。皆マスクを着用し、場所を譲り合いながら、ランドマークタワーを中心に運河沿いの町並みを眺めました。

 万国橋の雰囲気
フォト

 私はコンデジ一本で撮影します。撮影方向は、西側に限ります。

 午後5時14分
フォト


 午後5時17分
フォト


 午後5時20分
フォト


 午後5時21分
フォト



 撮影日の2020年10月25日(日)、午前中横浜上空に残っていた雲が、すっかり取り払われています。日没間もない時間、西の空は赤みを帯びていました。天気次第で写真の出来が左右されるトワイライト夜景において、条件的には恵まれました。

 今回自転車の走行距離はおよそ75km、8月2日と同じく、帰り道は筋肉痛に襲われましたが、坂道では自転車を引っ張って歩くなどして、体の負担を減らしました。

最後に今年3回に渡った横浜みなとみらい周辺地区旅行を振り返ります。年末恒例の山手西洋館の「世界のクリスマス展」の中止に伴い、年内の訪問は控える予定です。コロナの感染拡大が最小限にとどまり、公共施設が開いていれば、年明けにでも足を運びます。

2018年のまとめ日記 2018年12月12日付 12/9(日)横浜ライド(続)みなとの見える丘公園 エストニア式クリスマスと夜景、2018年みなとみらい旅行を振り返る
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1969537090&owner_id=32437106

 2019年のまとめ日記 2019年12月14日付 12/8(日)2019年第3回目横浜ライド(2)山手西洋館巡り(続)悲劇の王妃マリーアントワネットについて。夜景野毛山公園 2019年4回に渡ったみなとみらい観光を振り返るhttps://mixi.jp/view_diary.pl?id=1973979323&owner_id=32437106

 第1回目 2020年8月2日(日)
8月7日付け withコロナ時代の博物館 8/2(日)梅雨明け直後の横浜ライド 横浜市内の交通網について 三渓園、馬の博物館、市電保存館、夜景川和富士公園
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1976539784&owner_id=32437106

 上記日記より三渓園で早朝に開催された観蓮会で撮影した写真
フォト

 上記日記より川和富士公園からのトワイライト夜景
フォト

 第2回目 2020年8月9日(日)
8月30日付け withコロナ時代の博物館(2)8/9(日)横浜みなとみらい地区観光 大桟橋でのトワイライト夜景撮影レポート、https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1976768523&owner_id=32437106

 当時訪問した横浜駅そごう美術館で展示されたバーミヤン遺跡のクローン
フォト


 上記日記より大桟橋からのトワイライト夜景 一眼レフで撮影した1枚
フォト


 横浜市みなとみらい地区、根岸地区に点在する博物館は、頻繁に展示変えをし、年に数回特別展を開催しています。毎回訪れるたびに、新しい内容を学習できるため、見学する価値が十分にあります。港沿いのみなとみらい地区では、新しいビルやホテルと共に、ショッピングモールが建てられ、若者を中心に観光客の呼び込みに成功しました。1859年に開港して161年、文化の町としても発展を続けていきます。
 

 
5 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年10月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031