例えば
コロナで外出自粛が要請されると
(フランスやドイツではロックダウン)
「普通の人」はストレスを感じるらしい。
けれども
「私」は
「自分に理想の状態」と感じる。
なので
私の感性は
「異常」。
私の世界は
外見は社交的に問題なさそうに
見えるけれども
実際は
内部で完結していて
外部を必要としない。
なので異常。
普通は
人と人との交流で
人間の精神状態は正常に保たれる。
けれども
私の場合は
自分一人でいる時が
最も安定していて
他の人と居ても
そのことは
特に嫌ではないのだけれども
自分の「本心」が
誰にも伝わらず
自分の「本心」についての話題に
誰も合わせてくれないので
結局人と居ることが
楽しくなくなってしまう。
(人と一緒にいても
得るところがない。
聞きたいことについて
意味を感じれる話が
聞けないから。)
「本心」とは
1990年11月5日のお昼前から
今まで抱いている気持ち。
その気持ちについて語っても
誰とも話が合わない。
けれどもこのことは
1990年11月5日以前にも
潜在していた気持ちなのかもしれない。
ただ
1990年11月5日に
自分自身の「本心」に
気づいた(自覚した)だけなのかもしれない。
気づく前には
その気持ちの存在すら
全く知らなかったのだけれども
気づいた以後は
元々存在していたのだと
思うようになった。
そしてその「本心」は
自分だけのものではなく
誰にでも内在している
「直径全祖先の意志」だと
今では思っている。
DNA という実在で継承されている
誰にでも内在している
「遺伝情報」は
普通は知覚できる情報ではないのだけれども
DNA は
知覚できるできないにかかわらず
特定の個人の生理や心理を
最も根底で規定(限定)している。
だから
私の言わんとしていることは
誰にでも当てはまることで
私だけに当てはまることではない。
だとしたら
私は「異常」ではないはずだ。
にもかかわらず
以上の話をしても
誰も興味を示さないし
誰も同じ話題で
話を展開し合うことが
出来ない。
そのことが
生きていて
最も残念だ。
なので
自分を「異常」と考えて
納得しようと思っている。
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最終更新
令和2(2020)年10月30日 午前3時41分
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