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2020年10月25日12:13

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人種の違う3人のスケボー少年の共通点とは?「行き止まりの世界に生まれて」

このドキュメンタリー映画を観るにあたって、その作られた経緯について先に知っていると、内容を理解しやすいかもしれません。
映画撮影について勉強し、短編ドキュメンタリーを製作していた監督が、かつてのスケーター仲間に故郷で久しぶりに会った事をきっかけに、自分と2人の友人の、これまでから今現在の人生を映画にしようと撮り始めたのがこの映画なのです。
つまり、その時点では結末がどうなるのか分からなかったわけです。

3人は子供の頃からの友人で、人種もバラバラ。
リーダー格のザックは白人、気の良い仲間のキアーは黒人、監督のビンはアジア系です。
タイトルの「行き止まりの世界に生まれて」の行き止まりとは、彼らの育ったイリノイ州ロックフォードの貧困地区を表すと思われます。
「全米で最も惨めな町」と称されているほど、衰退した町なのだそうです。

監督は子供の頃から自分達の映像を撮りためており、その映像も多く映画に使用されています。
仲間同士で和気あいあいと会話するシーンやスケボーシーンばかりで、他愛も無いものばかりですが、自身もスケボーに乗りながら撮ったシーンは素晴らしい迫力と浮遊感に満ちています。

しかし、友人に家庭環境の事をインタビューしていく場面になると、途端に重苦しい内容になっていきます。
3人共に幸せでは無い環境、つまり親の離婚や虐待等で家庭に居場所が無かった事実が明るみに出ていくのです。
監督自身も親が離婚し、再婚した義理の父親に虐待をされており、何とその事について自分の母親にインタビューする凄まじいシーンが登場します。
こんなシーンは他の映画ではなかなか見られないと思わせます。

過去も過酷ですが、現在も過酷。
ザックは結婚し子供も生まれますが、酒に酔って奥さんを殴ったり浮気をしたりと、なかなかの減点パパぶり。
キアーは皿洗いの過酷な職場で酷使されてグッタリし、2人とも未来の見えない状況なのです。

そんな中、時折挟まれるスケートボードで町を疾走するシーンの解放感は非常に印象的です。
問題を抱え、居場所の無い少年達がなぜ熱狂的にスケートボードに夢中になるのか、良く分かりました。
家族や社会のしがらみから解き放たれ、希望の無いこの町から、世界のどこまでも走って行ける。
どんな段差も障害も乗り越えて、どんどん進める。
そんな気分につかの間、浸る事ができるのです。
この映画では、スケートボードをやった事ない観客でも、そんな気持ちを追体験できると思います。

「行き止まりの世界に生まれて」という邦題は、映画の内容に合っていないのではないかとの指摘があります。
生まれた場所が生きていくのに苦しい場所だった、という部分もありますが、彼らの問題はもっと普遍的なものでもあるからです。
でも、今現在、自分の世界がもう行き止まりとしか思えないという人は、日本でもたくさんいるのではないでしょうか。
この先、もう何も良い事が期待できない。
これから悪くなるばかり。
ただ、死んでいないから生きているだけ。

この映画はドキュメンタリーですから、都合の良い展開は当然訪れません。
最後まで、今後の生活への不安は払しょくされません。
しかし、彼らは相変わらず生きていく。
行き止まりの様な人生にも、まだ細々とした道が続いているのです。
もうダメだ、と思っても、まだ明日がある。
何も解決されなくても、人生には続きは訪れるのです。

終盤の編集は見事なもので、大きな感動と、それぞれの今後の人生への「悪い事ばかりでは無い」展望を感じさせ、爽やかな気持ちにさせてくれます。
もちろん、これは監督による作為的な部分も含まれるのでしょうが、ただ落ち込ませるのがこの映画の目的では無く、同じような境遇で苦しむ人に対してのエールとしても作られているのが分かるので、これで良いのだと思います。

ちなみに、家に帰ってたまたま視たテレビで、シリア難民のドキュメンタリーが放映されていました。
ここには本当に何の希望も無く、完全に行き止まりの様な世界が映し出されていました。

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