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2020年10月15日05:38

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石原莞爾ペースの尋問

石原莞爾は言った「マッカーサーは敗戦国の精神を侮辱しておる」夜の六時前の出来事です。UPの記者、APのホワイト記者と通訳官が見えて、石原莞爾にインタビューしました。石原莞爾は逃げなかった。石原莞爾は二人に、「これからの私の話は、日本で発表しないでほしい。恐らくマッカーサー司令部の検閲にひっかかってあなたたちの言葉は本国には届かないはずだから」と断りました。

アメリカの記者は「石原が作戦をやればアメリカには負けなかったと言ったが、どんな作戦をされたでしょうか」と質問しました。石原莞爾は、ちょっと顔を伏せたあと「少々言葉がすぎたかな。五分五分の持久戦になって、断じて敗戦ではない、という意味だ」。

「ソロモン、ビスマルク、ニューギニア諸島を早々に放棄し、資源地帯防衛に転じ、西はビルマ国境からシンガポール、スマトラ中心の防御線を構築し、中部は比島の線に後退。他方本土周辺およびサイパン、テニャン、グアムの南洋諸島を難攻不落の要塞にし、何年でも頑張りうる態勢をとると共に、外交的には支那事変解決に努力、傾注する」。

「日本が真にサイパンの防衛に万全を期していたなら、米軍の侵入は防ぐことができた。五分五分の持久戦となり、断じて敗けていない、ということだ」するともう一人の記者が「マッカーサー軍政は大失敗であると言われましたが、いかなる点ですか」と質した。

石原莞爾は、その理由を、「その第一の理由は、敗戦国の精神を侮辱していることだ。君らは武力で少しばかり日本より強かったからだ。精神の問題ではない。それに勝った国が負けた国を奴隷的扱いするということは大きな誤りだ。失敗の第二点はマッカーサーが過去の日本軍がやった軍政と同じことをやっていることだ」。

「第三点は、民主的な平和団体である私どもの東亜連盟を解散させたことだ。マッカーサーも東条軍閥と少しも変わらない。その権力的なことは、東條英機よりはるかに強圧である」記者の取材を見ていた父・仲條立一は『永久平和』誌にこう書き残している。

「澄んだ目と独特の笑顔で、冗談と皮肉を連発して一同を笑わせながら、鋭い批判を展開し、聞く者に深い感銘を与えたように私の父は見ていました。別れぎわに、記者の中には、将軍に抱きつかんばかりにしてサンキュ、サンキュを操り返して、感激を表現する者がいたことを記憶しています。

翌日も小雨となった。石原莞爾と小野克枝は開廷10分前に証人席に着きました。判事は着席すると、「昨日に引続き、検察官の尋間をどうぞ」と言って進行しました。ダニガンはこの日も、満州事変前夜での板垣征四郎の行動を追及しました。質問が重復するシーンがあり、石原は「前に申し上げました」と言って相手にしないことが数回あった。

そのたびにダニガンは気をとり直して、質問を変えました。「誰が建川少将を奉天に呼んだのだ」すると石原莞爾は唖然としました。余りにも軍組織に無知だったからです。それで石原莞爾は、「建川は、当時参謀本部の部長ですよ」とだけ答えた。

ダニガンは、反応しませんでした。「それでは、本庄将軍が9月19日に奉天に到着したあと、参謀将校、幕僚の集まりがあり、その会合で、動員を決定したのではないのか」と尋問しました。この「動員」という言葉の意味をめぐって、トラブルとなりました。

石原莞爾は「動員ではありません。言葉を注意して下さい」とダニガンに言いました。ウォーレン弁護人も立ち上がり、「軍全体の行動を起こす、という言葉と、英語の動員との間に非常な相違がある」と判事に異議を申し出ました。判事はダニガンに注意し、尋問を続けさせました。

「いや、スモールハンマー」石原莞爾とダニガンとの間には表現をめぐってやりとりが続きます。そのひとつが、「敵に対して頑固たる鉄槌を下すべきであるといっておるが、実行されたのか」と質問した時です。石原莞爾は茶化すように、「あまり、大鉄槌でもありません。中鉄槌かも知れません。鉄槌が小さかったのです」と答えました。

それを通訳者が「スモールハンマー」と訳したのです。すると外国の弁護団や速記者の間で爆笑が起きました。ノース・クロフト判事までが口もとを抑えて笑っていたのです。通訳のユーモアが引き起こした爆笑シーンは、その後、石原莞爾の熱弁の引き金となり、それ以後の法廷は、石原莞爾のペースになっていったのです。

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