空手の稽古やウォークラリーの疲れからかな、膝が痛んでいます。ここ数日は、足の痛む日が続いています。過去、指の骨が折れたり、肩が脱臼したり、肋骨などは何度もひびなどが入りましたが、足は行動範囲の広い私にとっては髄分きついです。
今回は両足で膝まで激痛が走るのでかなり痛いので歩くのが苦痛です。何年か前は靭帯が損傷して足の悪い方の気持ちがとてもよくわかりました。怪我や病気と言うものは色々大変ですが、健康では学べないような事を学べる機会でもあるのだと思います。
こうして怪我や病気で苦しい時、自分の体とは本当は誰なのだろうか。私は怪我や病気になるとそのように考えます。それが重い怪我や病気であると、その事実は更に重たいものになります。人間はどこから来てどこへ行こうとしているのか。
目的は、死の意味は、多くの人間が生きて死に、今も生きて死に、未来も生きて死のうとしているなど、自我こそが私だと思っているのと同じ様に。怪我や病気に苦しんでいても、重い障害を負っていても、死の床についていても、光り輝いている人達がいます。
それはどうしてこんな目になったのか、あんな事をするのではなかったなどと考えないからだと思います。自分がどこにいるのか、怪我や大病した時ほど分かりやすいことはないかと思います。我々が生きていく上で、普段は痛みを感じていません。
だが、怪我や病気は痛みと苦しみを伴うので、大切な事を考える感謝の気持ちなどを素直に受け止められるチャンスでもあります。この経験の中から、現実は、神が造り上げたものであるとの考えが生まれました。
大切な事は、苦しみを離れ、喜びや至福、あるいは救いを経験するという事だと思います。怪我や病気の苦しみから離れたとき、暫くの間は感謝の気持ちを満たすかも知れません。しかし、それは長くは続きません。直ぐに忙殺する日々に押し流されてしまいます。人の痛みなどがわかる気持ちは、苦しみの思考から生まれてくるものだと思います。
聖書のコリントの一説に「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」これが現実の希薄した社会から救い出してくれる力を持つ言葉だと思います。
それは、目で見ようとし、耳で聞こうとし、心に思い浮かぶものを探そうとしているからです。だから、希薄な忙しい社会に浸かっていては経験が出来ないと思うのです。神に感謝して隣人に感謝して生きていければ争いなどなくなるのだと思うのです。
一体我々はどれ程、毎日の生活の中で感謝の気持ちや人間の誕生に対して生きているのでしょうか。もし、我々の日々の生活が、異なった規則や価値観により支配されているのであれば、我々も決して現実のものではない、観念的なものしか知らないのではないでしょうか。
それを現実なものとして経験していながら、異なった規則や価値観に、自分を従わせるでしょうか。神の創造した生命の不思議、生命の神秘を全体で解く暗号は、聖書やDNAの文字配列の長い部分に隠されていて、これからの可能性や方向性に関する情報が潜在しているのかも知れません。
未来の情報がそこにプログラミングされ、シナリオが記されている可能性もあります。死の問題を深く考えることは、ある意味では恐ろしいことだと思います。それは、我々の人生を根底から問い直す力を秘めているからです。我々はその心の準備ができているのか。
自分に影響が及ばない程度にまでは向かい合えても、そこから先に行くためにはどうしたらいいのかと感じているのです。今の時代を一緒に生きるものとして、共通の課題を抱えているのです。大人も子供もその課題を経験しているのです。
その共通性に気付くとき、それは子供だけの問題ではなく、自分の問題でもあることが分かることでしょう。問題は常に、自分のものとして生き、最良の方向へと我々を導いてくれるのです。だが、理科の教科書は殆どが進化論的な見方を強く邁進しています。
事実、進化論を否定する論議は、多くの場合学校の教科書の中に登場しない事が進められているのです。理科の教科書の中では、早くも第3学年で巧みな言い回しが出て来ます。小学生の頃、先生から当前のようにサルが人間に進化した事を教えられ、そのような博物館にも遠足で行かされました。教育制度の権威が、それを信じる事を強いているのです。
日本の多くの指導的な教育家や科学者達が、進化は事実であると断言し、それを信じようとしないのは無知な人々だけであるという意味のことを暗示する時、普通の人々でそれに反論しようとする人たちはどれほどいるでしょうか。進化論に付されているこの権威の重圧こそ、非常に多くの人が進化論を受け入れている1つの大きな重圧ではないでしょうか。
聖書に書かれている答え、生命とは何か?命の起源はどこにあるか?生命は何によって成り立ち、その営みを決定しているのは何なのか?その無限の生命の連鎖の意味は一体何なのか?その根源で司る神の望むものとは?そういう生命の原理や本質に関する哲学的な聖書の比ゆ的な言葉を理解する為にも遺伝子のどこかにきっと記されているに違いないのです。
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