3回目接種の遅れは、急増する副作用による身内の不幸に嘆いている事が原因です。ウクライナが長期戦となれば自衛隊派遣も要請されるかもしれません。ロシアによるウクライナ侵攻は危機感を増すばかりで、ロシア軍はウクライナ国境付近の戦力を増強、さらに医
東京のコロナ死亡者数データを分析して判ったのはワクチン接種の衝撃の事実でしょう。 アメリカ大統領首席医療顧問のアンソニー・ファウチ米国立アレルギー感染症研究所所長が、新型コロナウイルス感染拡大初期の2020年2月に、複数の科学者たちから中国
2020年、11年ぶりにビールのシェアが首位のアサヒからキリンが奪還しました。この復活の立役者であるキリンビール社長の布施孝之氏が9月1日に急逝されました。同業メーカーのトップから哀悼の意が寄せられており、布施社長の人柄が報道されていました
2000年代になった頃から、情報機器の進歩によりテレワークの概念が日本でも注目されるようになって、社会の一部の職種で在宅勤務が実施されていましたが、あまり数は多くありませんでした。しかし、2019年末頃から始まった新型コロナウィルスの世界的
ドイツ留学の成果大正十年(1921年)七月、石原莞爾は陸軍大学校兵学教官を命じられました。石原莞爾の優れた才能、それに中支那派遣隊司令部における対支経験と知識を活用させるためには、参謀本部動務がもっとも適当であるにもかかわらず、兵学教官を命
令和2年の積水ハウス株式会社「イクメン白書2020」の調査をみると、男女共に8割以上が育児休業制度に賛成しています。男性の育休取得率は、ここ数年は上昇していますが、政府の目指す目標には届いていません。育児休業を取得しなかった男性3729人に
職責に相応しない方が地位に就いたとしても、安定した世の中であればあれば、何ら問題がなかったことでしょう。問題は非常時に陥ったときです。困難な状況下と平和なときとでは求められるリーダー像が全く違います。菅首相が優れていたかどうかは後世の方が判
江戸時代前期の作家です。俳諧を得意としましたが、浮世草子の作家となりました。「好色一代男」「好色五人女」などで人気を得ました。たくましく生きる庶民をいきいきと絵がき、新しい文字を作り出したのです。井原西鶴は、大阪の豊かな商人の子に生まれまし
俳諧を芸術に高めた俳人といえば松尾芭蕉でしょう。江戸時代前期の俳人で、笑いが中心だった俳諧を、人生の深みや自然の美しさをうたう俳諧(俳句)へと、芸術性の高い文芸に高めました。句をつくりながら旅を続け、「おくのほそ道」などの紀行文を残しました。
常々考えていました。 旬とは何だろうと。なぜ、トマトやキュウリやナスは夏に獲れるのだろう。なぜ、暖房をしてまで冬にトマトを作らないといけにいのか。漢方の本を読んでいて、気がつきました。温野菜と涼野菜の記述があったのです。夏は体温を下げるため
1990年からみかん農家に補助金を出して、オレンジを輸入自由化にしました。ところが、アメリカのオレンジなんて、1991年から1992年にかけて、誰も見ていません。見たという人がいたとしても、ごく一部の人です。オレンジは輸入されていませんとい
室町幕府第八代将軍足利義政の妻。実家の日野家とともに政治に口出ししたばかりか、将軍の跡継ぎ問題を引き起こし、応仁の乱へと発展させてしまいました。大名らに高利で金を貸し、財産を築きました。日野氏は藤原氏の子孫です。1455年、日野富子は若くし
満州国の誕生に際しての経緯は、一般には認識されていません。これは後世の歴史家によって、改めて検討を要する重大問題であり、世界的意義を有するものです。このままでは誤って後世に伝えられることになるのです。元来、満州というところは、東亜諸民族混住
明治政府が欧米の技術や文化をとり入れて近代化を推し進めると同時に、民衆の生活の中にもそれまでの生活スタイルとは異なる文化が都市部を中心に広まりました。これを文明開化とよびます。東京を中心に食べ物や衣服、建物などの欧米化がすすみ、学校や工場な
明治政府がおこなった四民平等の実施にともなって、1876年、士族に対して刀をもち歩くことの禁止や俸禄(武士への給料)の廃止などが決定されました。これまでの特権が奪われた士族は生活が苦しくなり、政府に不満をもつようになりました。また、地租改正に
政府は、欧米の国々に負けない国づくりを目指すために、国を豊かにして、強い軍隊をつくるという「富国強兵」の政策をすすめました。なかでも、学校制度、軍隊の整備、税制の整備の3つは、国の基盤を築く上で中心となる改革で、国民生活にも大きな影響をあた
東京都の感染者が少し減り始めました。ワクチン接種が進まないから減ったのでしょう。カナダは都市閉鎖やワクチン強制などを厳しく推進してきました。そのカナダで1月末から、長距離トラック運転者達がトラックに乗車して首都オタワに結集して、隊列を組んで
15世紀に成立した琉球王国は、江戸時代には薩摩藩に支配されていましたが、独立した王国でした。明治になると、政府は琉球を日本に組み込む為に、1872年、琉球藩を設置しました。そして、1879年に政府は琉球の人びとの反対を無視して、武力をもって
石原莞爾は東條内閣の考えを酷評し、「対米英戦争は彼我対等の経済力、軍需生産をもってする戦いにあらず、東條らは敵の物質力の大なるを説き、生産競争に勝て、不可能を可能とせよなどと説くことは、激励の辞としては結構であるが、単なる物質の生産において
二・二六事件ですが、士官学校事件に関連してすでに免官となっていた村中孝次、磯部浅一らを中心とする皇道派の青年将校41名、民間側北一輝ほか13名が企図したものです。その決起の目的は要約すると、つぎの四項目になるようです。軍上層部の腐敗は軍閥を
1871年、明治政府は江戸幕府が幕末にむすんだ日本にとって不平等な条約を改正することや、欧米の文明を視察する目的で使節団(岩倉使節団)を欧米に派遣しました。そして、岩倉具視が代表となり、木戸孝允や大久保利通、伊藤博文など政府の有力者約50名が
昨今、SNSや新聞、テレビのニュースなどで、自然災害の情報を目にすることが増えてきたように思えます。それを受けて、防災についての意識は年々高まりつつあるのではないでしょうか。しかし、防災の知識を身につけることと実際に災害が起きた時に行動でき
新しくできた明治政府は、1868年、五箇条の御誓文をしめし、また、国民がまもるべきことを5つの立て札(五榜の掲示)として、全国の町や村に立てました。そして、江戸を東京とあらため、年号を明治としました。人びとは「御一新」とよんで、新しい政府の政
以下は、マーク・ゲインの『ニッポン日記』から引用します。なお、以下の発言は、講和条約を結ぶ前の日本、つまりまだ交戦状況下での発言であることに留意する必要があります。「私が現役に止まっていたら、あなた方アメリカ人にもっと金を使わせたでしょう。
記者「ジェネラルは、トルーマンを政治家として落第生であると言われるが、それはどのような点でしょうか?」石原「遠慮なく言わしてもらおう。彼には深謀遠慮というものがない。しかも目先が利かない男だ。明日から明後日くらいのところは見えていても、遠い
現在、先進国で3回目の追加接種が進んでいる新型コロナワクチン。感染時の重症化を防ぐとされているこのワクチンですが、衝撃の事実が発覚したようです。元国税調査官で作家の大村大次郎氏が、東京都議会の与党議員が発信してきた都の新型コロナ死亡者数デー
石原は鬼才に富む人材でありますが、剛直過ぎるという性格のため、上司には敬遠されることがしばしばありました。いずこの組織でもあることですが、当時の軍はとくに酷かったです。派閥とこびへつらいの軍閥人事のなかにあって、石原莞爾が参謀本部作戦部長に