■「つらくても生きてこそ」今苦しい人にはるな愛が伝えたいこと…インタビュー中に思わず涙も
(まいどなニュース - 09月20日 17:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=262&from=diary&id=6239319
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当たり前に完全に私見だが。
「自由」「平等」「博愛」の順序には意味がある。
まず「自由」その人の意思は基本的の尊重されるべきということ。ただし、行き過ぎて他人の自由を侵害してはならない。ゆえに「平等」という発想が来る。かといって単なる平等では救われない弱者がいるのでそこをフォローする努力目標としての「博愛」が来る。
LGBTの方々や人種差別、優性遺伝もろもろの「社会的マイノリティ」を考えるとき、彼らが救済されるのは「博愛」においてだと思っている。
社会的が成熟しているときの努力目標というレベルだ。
キレイゴトをどれだけ言ったところで、たとえば文明と言えるものがないような原始時代に上記のマイノリティを救済するには社会的リソースという「余裕」がなさすぎる。
だから少数者や弱者が「自分たちは弱者だから救済されて当然だ!」という態度が出てくると「それは違う」と思う。少数者の前にまずは多数者が救済されてなければ「少数弱者による多数強者に対する搾取」という妙なことになりかねない。
LGBTや障碍者の方に関して言えば、まずは多数者である「男性用トイレ」と「女性用トイレ」が十分確保されたうえで、「余裕があれば」ユニバーサルトイレが設置されるという順序であるべきだろう。ユニバーサルトイレの面積が大きすぎて男性用や女性用トイレが設置できない!となれば本末転倒だと思う。
私にはマイノリティを不当に扱う意図はない。「可能な限り平等であり、救済されるべき」だとは思っている。ただ単に「社会的な優先順位」があると思っているということだ。
その意味ではるな愛さんが社会的に一定の成功をおさめられたことは喜ばしいことだと思う。本人の努力はもちろんだが、日本社会が成熟し、彼(彼女?)を受け止める余裕が出てきたということだろうから。
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