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2020年08月26日15:22

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兵士と母の文通の話

今朝の7時のニュースの流れでチラ見した「朝イチ」は、太平洋戦争中の庶民の暮らしに関する投稿を紹介する内容でした。その中で大阪の高齢の女性が、戦時中に南方へ派遣された兵士と文通したエピソードが紹介されました。終戦前に文通が途切れたため、その文通相手の兵士の消息を番組側が調査。横須賀出身のその兵士は残念ながら戦死されたそうですが、番組側は彼の遺族とは対面できたというもの。

実はそれと同等の話がわが家にもあります。
戦地の兵士への慰問対策かなにかで、10歳前だった母も兵士と文通をしていた話を、私が子供の時に聞かされていました。母は手紙や写真を戦地の兵士へ送るなど何回かの文通を交わしたようですが終戦前に途絶えてしまったそうです。

ここからがおもしろい。

戦後55年経った2000年ごろ、会社員だった私は名古屋に勤務していました。ある時、母が茨城から名古屋へ遊びにきた時に、「稲沢にある和菓子屋を訪ねたい」と言い出しました。理由を聞くと、その和菓子屋は例の母の文通相手の実家らしい。兵士の消息も知りたかったらしい。「お店の名前、知ってるの?」と問うと「松屋なんとか」という返答。漢字四文字のお店ということはギリギリ覚えていました。私は電話局にそれに合致しそうなお店があるか訪ねてみました。(当時はまだインターネットの普及前です。)

するとあった!

電話番号を教えてもらって、思い切って電話をしてみました。
「実は茨城県に住む私の母が…」と私が切り出すと、電話に出た女性の声は「ああっ!」とビックリしたようでしたが、「父から聞いていました。」という返答。復員されて実家の京菓子屋を継いだのですが、数年前に亡くなったそうです。そのことを母に告げると、「ぜひ線香をあげにいきたい」と所望。その旨を伝えると先方から快諾してもらいました。
その数日後、私の車で母と稲沢市へ向かいました。名古屋から1時間ぐらいのところ。そのお店は昭和10年ごろから続いているお店だそうです。ご挨拶をして、線香をあげ母も満足していたようでした。そうしたら家の方が、亡くなられた店主(兵士)の遺品の中にあった母の手紙や写真を見せてもらってビックリ。復員してから、茨城の女の子と文通していたことを家でもお話しされていたそうです。

戦争は大嫌いですが、この時のご対面には、私もほっこりしました。羽二重餅などお土産をいただいて帰りました。実は私、仕事でも稲沢市周辺で病院や学校の設計を担当したので、私とも全く縁がないわけでもありません。人の縁とはおもしろいものだと思いました。
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