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2020年08月15日10:20

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吉太郎先生の命日

本日8月15日は終戦記念日であり、私にとっては都路の父・吉田吉太郎先生の命日でもある。「群馬で休んでいるときに悪いが、親父が死んだ」と村おこしを一緒にやっていた息子から電話があり、都路にとんぼ返り。改めて写真で確認したら2009年、もう11年も前の話だ。吉太郎先生の妻で私にとっては都路の母・才さんも昨年の1月に亡くなり、すっかり寂しくなってしまった。

私が吉太郎さんを先生と呼ぶのはかつて小学校の校長先生だったこともあるが、都路に通い始めた34年前、吉太郎先生が編纂した都路村史をいただいたから。赤線を引きながら何度も読み返したが、地名の由来や昔話など貴重な逸話がいっぱい載っており、吉太郎先生にはしつこいくらい質問したものだ。そもそも都路の由来は「みやこおぢ」という説があり、時代的にはちょっと怪しいのだけど、よそから移ってきた人が多い。吉田家も5代前に新潟県新発田からやってきたと聞いた。

東京から通ってきたときは毎晩、都路に移住してからは農作業のあととか、才さんの誕生日とか、何かにつけて宴会になった。「人が集まる家は栄える」が才さんの口癖で、あっという間に手料理を作ってしまう。「50なんかペーペーだ。80の坂を越えてみろ」とも言われた。吉太郎先生の酔っ払ったときの口癖は、「人間は一度は死ななきゃならない。こればっかしはしょうがないんだ」。当たり前の真理ではあるけど、いま振り返ると哲学的な言葉だったような気もする。生きていれば98歳だったのかな。吉太郎先生、ちゃんとあり日を偲んでいますよ。

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