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2020年05月24日07:28

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ガンダムシリーズと他作品の違い

おはようございます、月影TAKAです。
今回は「ガンダム作品と他作品の違い」について語ります。

まあ、「ガンダム作品をどの分野で考えるのか?」という内容でいくらでも分裂してしまうので、あくまで「初代ガンダム」で考えましょう。

正直言うと「初代ガンダムは2大国(軍部)間での主権争いの間にあった話である」というのが言い分ですね。
地球連邦軍とジオン公国の2つの軍隊・国家の「人類の主導権・自治権」が題材となった話です。
後付けのジオリジンでも語られていますが、「宇宙に移り住んだスペースノイドは地球に住む人類よりも立場が下であり、同等の扱いを受けていなかった」という問題があります。
そもそも、人類が宇宙に進出した理由は冒頭のナレーションでも語られているように「人類の人口が増えすぎて地球で住める人口を越えてしまったから」というのが経緯であり、スペースノイドの始祖としている人達は主に
「地球での立場が無くなった人達(貧困層)」
「地球を見限った人達(新天地を目指した人たち)」であり、スペースノイドの行き着く先は「自治権の取得(自分達が自立し、生活できる環境の確立」である。
対して、地球聯本軍の現状と言い分としては
「地球は長らく人類が住み続けたことで資源や作物が枯渇しつつある」
「スペースノイドや新天地に資源や作物を作らせて俺達の手足にしよう(奴隷制)」
「そのためにはスペースノイドに自立してもらっては困る(自治権を認めない)」という構図です。

ようは「地球の資源が枯渇しつつあるので、地球の人類側が主導権を確保したまま外宇宙や宇宙に住んでいる連中に資材・資源・食べ物を持ってこさせよう(しかも、不当な対価で搾り取ってやれ)という考えが横行していた。
これにスペースノイドが長らく不満に思っており、ジオン・ダイクンの死をきっかけにそれが爆発、ザビ家主導で「ジオン公国」を立ち上げて今まで圧政を敷いてきた地球側に宣戦布告を開始した感じかな。
つまり、一番悪かったのは「地球連邦軍の方」であり、ジオン軍の兵士たちはむしろ「被害者」の側だったというのが視聴者の視点である。
そして、更に悪かったのは「ザビ家一家」であり、ザビ家の中には良心を持った人間もいたがギレンとキシリアは「戦後、どの陣営が主導権を握るのか?」という点で暗躍。
事実上「身内での仲たがいで組織分裂により空中分解。そこを連邦軍い叩かれてジオン軍敗北」が史実である。

でも、これを見て思ったのは「主要となる出来事はキャラクターが起こしているけど、全体的な話の進行は世界観のまま進行した」というのがノリである。
これは後のZガンダムでもZZガンダムでも逆襲のシャアでも同じである。
言っちゃなんだが「Gガンダム」でも「キャラクター主導でストーリーが進行する」ことはない。あくまで「ガンダムファイトは1年の期限の間」が原則であり、もしガンダムファイトの期間の間にドモン・カッシュが敗北しても話は進行していたと思う。

では「ガンダムSEEDのシナリオ進行にはこの法則がはたらいていたのか?」と言われたら私の視点では「働いていなかった?」と思う。
まあ、「フリーダムガンダムが出てくるまで」は多分、初代ガンダムの法則に沿った話だったんだろうなと思うけど、「シナリオライターがキラ君最強伝説を構築した」時点でこの法則は瓦解したと判断するわ。
逆に「ときた先生や戸田先生のアストレイが成功した理由」もこの法則故に古典的な法則を守ったからであり、陣営的に「少数主人公勢」を貫いたからだと思う。
SEED放送時代から「どうしてアストレイなのか?」という事を考えていたが、大人になって結論が出たな。それは「アストレイとは原作進行に対するアンチテーゼ&皮肉である」という事になる。
つまり「アストレイ⇒王道ではない⇒SEED原作が王道でない時点でその反転は旧ガンダムにおける王道」という事になる。
つまり「旧ガンダム基準でのガンダムSEED」が「ガンダムアストレイ」であり、コミックボンボン時代からアナザーガンダムを描き続けたときた先生の「ときた節」によるガンダムSEEDが「ガンダムアストレイ」ともいえる(これは原作SEEDしか知らない腐女子には絶対分からない)。

まあ、凄くわかりやすく言えば「旧(初代)ガンダム作品⇒世界観・設定基準のシナリオ進行法則」であり「TV版ガンダムSEED作品⇒キャラクターから構築されるシナリオ分岐システム」である。
ようは前者は「古い漫画法則」であり、後者は「ギャルゲー(か乙女ゲー)視点の法則」と言ってもいい。
もっと簡単に言えば初代ガンダム基準の法則に限りなく近いのは「TV版装甲騎兵ボトムズ」であり、酷い言い方をすれば「最終章こそあのノリだったが、事実上キリコが途中で死亡してもボトムズの世界は進行する(まあ、死なないけどね)」という事になる。
逆にガンダムSEED的な法則に限りなく近いのが「ラムネ&40」「レイアース」「魔神英雄伝ワタル」「勇者ロボシリーズ」「エスカフローネ」「境界線上のホライゾン」といった感じですかな。
ようは「主人公達が進む道そのものが世界の進行のすべてであり、主人公達が息絶えるか死亡した時点で世界が終わるという法則」が成立する話です。
ようは「主人公の重要性に非常にベクトルが寄る」という事ですね。
ラムネ&40でもラムネスが敗北するか死亡すればラムネ&40が終了するし、レイアースにおいてもひかる達が死亡しても同様のことが発生します。
つまりは「主人公が目的を達成して世界を救う(救世主伝説)」を目的としたシナリオ構築方法であり「全ての小説・漫画・アニメ作品の法則に当てはまらないことは無いが、ガンダム作品として考えた場合はこの法則は不適切である」と「アニメ学科のテスト」があれば出題されそうな問いかけですわな。
なお、「境界線上のホライゾン」においても「失われたホライゾンの感情を回収し、三河勢が末世の謎を解く」という「個人的私怨における主人公行動」の基に作品の進行が決まっています(ようはホライゾンの感情を収めた武器があるところが話の進行先でありそれを全て回収するまで三河勢は死ぬことが出来ない(死ぬかもしれないけど死ねない)」という法則です。

でも、ガンダム作品は「主人公は戦争に巻き込まれガンダムがあっても軍隊の1兵士として終戦まで戦う」ことが目的であり、「ガンダムで反乱を起こして軍隊を乗っ取って自分の国を作ってしまう」ことが目的ではないという事です。
前者が「初代ガンダム」であり、後者が「種デス(SEEDデスティニー)」と考えてくれていいです(「オーブの守護者」としてストフリとインフィニジャスティスがいることはそういう事になります)。

今日はこんな感じです。
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