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2020年04月08日18:57

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京都の竹屋町の民宿に行ってみたい!

■京都の竹屋町の民宿に行ってみたい!

京都の街の人の気質はとても印象的だ。まず京都生まれで京都育ちといういとこが強烈だった。一緒に湯豆腐を食べに行ったり、神社やお寺を巡って、二条城などを案内されて、歴史の話をされても実感が湧かなかった。

メガネをかけていて、いかにも頭が良さそうな人で、京都の歴史にとても誇りを持っている話ぶりで、関東には歴史が浅いとネガティブなイメージを抱いていたようだ。明治に入って天使様がお江戸へお引越ししてから関東の歴史が始まったように言っていた。

僕は横須賀市生まれの久里浜という三浦半島の田舎町で育っているから、歴史と言えばペリー提督の率いる黒船の襲来くらいからしか知らないし、生まれ育った場所の歴史に誇りなんて感じたこともなく、この聡明な女性に新鮮な驚きと、京女の強さと誇りの高さのようなものを感じた。

江戸時代末期に多摩地区京の佐藤家という庄屋に支援されて都に生まれた新撰組に興味を持って、分倍河原に行っては旧街道や近藤道場の奉納した額のかかった神社などを巡り歩いた。新撰組が活躍した京都の事変があった場所へ何度も通った。新撰組の屯所から徒歩でどのくらいかかるのかも、距離感や地理を把握するためによく歩いた。

多摩地区は江戸幕府の天領で幕府が直接管理していた。農民も直参の農民だと誇りを持っていたようだ。佐藤家は今でも子孫が庄屋の屋敷跡に残っている。新撰組の副長になった土方歳三の姉が嫁に入った家だ。近隣の農民に江戸にあった近藤道場の天然理真龍の剣術を教えるための道場も敷地内にあったという。

京都は意外に狭い範囲で佐幕派と倒幕派が接近して活動していたことがわかった。二条城や各藩の藩邸や蔵屋敷も点在していたようだ。昔の建物が残されているところもあるが、たいていは記念の石塔が残されているだけだった。江戸時代の道は意外に細い路地だったりする。

勤王の志士が祀られている霊山にも何度も訪れた。とにかく自分の脚で歩かないと、維新の歴史には近づけない。高台院や新撰組が浪士隊として間借りした八木家も屋敷の規模や地理関係も把握した。とにかくよく京都を歩いた。しまいには北斗星に乗って土方が籠城した北海道の五稜郭まで行った。

散々通った京都だが行っていない場所が北山だった。シマノの開発を担当していた岡島さんに誘われて、フロントサス付きのMTB を輪行して京都市内の民宿へに集合した。するとゲーリー・フィッシャー氏がいて、一緒に北山へ走りに行くという。北山の道は舗装路だが険しく、オフロードへ入るには山道を走るしかない。

ここは北山杉の産地として有名で、杉を切り出す道が整備されている。3人ともXTR装備のMTBで結構険しい山道を登っては下りで、インナーギヤばかりの走りだった。突然の崖が登場したと思ったら、岡島さんはお尻を荷台に移動して、勢いよく飛び降りてしまった。フィッシャー氏と僕は歩いて降りた。

さすがわスプリントの元全日本チャンピオンだ。スプリンターというと筋肉モリモリの体を想像するけど、岡島さんは軽量スプリンターで、無駄な筋肉や脂肪は付いていない。トレーニングで作った筋肉の鎧をまとっていて、身のこなしがものすごい。ヨーロッパのピストでフランスのダニエル・モレロンという世界チャンピオンとトレーニングしていただけのことはある。

食事にも気を使っていて、朝ごはんはアルペンのシリアルにドライフルーツを足して、プレーンヨーグルトをかてローファットのミルクをかけて、蜂蜜を垂らし、お酒付きの岡島さんは香りづけにちょっとウイスキーを垂らして、ザクザクと食べていた。

フィッシャー氏はトレックショップのセミナーで回っているので、年に1度はつくばにやって来る、トレックにはゲーリー・フィッシャブランドのカーボンロードがラインナップされている。そのプロモーションに来ていた彼から連絡があって、小町の里で合流して走った。つくし湖近くのみかん山の激坂を上って、手で簡単に皮をむけるオレンジを食べてかから日本蕎麦を食べに行った。蕎麦より天ぷらが気に入ったようだ。

岡島さんと走った雪景色の北山を気に入っているようで、京都の竹屋町にあった、羊小屋という京都独特の長屋を改造した、線路の枕木で作った民宿兼居酒屋のあの宿へもう一度行ってみたいという。金ピカの金閣寺もすごいけど僕は銀閣寺が好きだという感性の持ち主だ。銃社会ではないし、安心な日本で過ごすのが好きだという。

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