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2020年03月06日23:55

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映画は技術か? 物語か? その狭間 『1917 命をかけた伝令』

完全リアルタイムな“体験”に近い企みは確かに成功している。
だが、同時に物語が引き出す感情の動静や自由さも技術が制約する。

映画は技術か? 物語か?

約24時間、2人の若き兵士へ迫る本作の物語は単純だ。
第1次世界大戦。イギリスの兵士スコフィールド(スコ)とブレイクは、
攻撃中止の「伝令」をもって敵陣を横切る。
映画は、その任務すべてをワンカットで映す。

現実と創作、最大の相違とは“時間性”と“連続性”だ。
我々の“現実”とは覚醒しているときはすべて一続き。時間が経過する。
おおむね人々はそれを“体験”と呼ぶ。*1

本作はその“体験”の再現という、非常に困難な領域へ挑む。
全編リアルタイムの映画がいままでなかったわけではない。

それでも本作が異次元なのは、大半の場面が屋外で、映像が広角なことだ。
気象や自然は加工しずらく、また屋外は基本広い空間性を持つ。*2
日の光、空の雲、揺れる草を一致させるならば、
偶然が重なり合った瞬間、演者もスタッフも闘争の様に撮影へ突き進むしかない。

それが功を奏し本作の没入感は非常に高い。
スコ、ブレイク、2人へ続く3人目の兵士にあなたがなれる。*3

一方、物語は戦争を生き抜く人々や、希望の幼子の登場と一通りの要素を入れ込む。
これ自体に批判はないが、物語の抑揚は弱い。
「全編ワンカットのつながり」だという知見がないならば、*4
ずいぶん淡泊なものに映るだろう。

そこに技術と物語の狭間を自分は見る。


※1 それゆえ本作を、純粋な完全リアルタイムだとするには多少問題があるだろう。なぜならスコは作中で長い間意識を失い、その時間経過は描写されることがないのだ。

※2 屋内の映像は環境に左右されないため、映像と映像がつなぎやすい。たとえばヒッチコックは『ロープ』(https://ja.wikipedia.org/?curid=1061608)のとき、 俳優の背中とチェストの蓋を“編集点”にしてワンカットへしあげた。ただ、屋外は気象条件や季節によって様相が大きく異なる。監督は曇天と曇天の天気で映像をつなぎ、空が曇る瞬間、競争のように撮影をしたという。

※3 まるでFPSゲームだという人々もいるが、監督はそのゲームをむしろ意識しているのだろう。実際、映像はスコとブレイクを主観で見る視点が多い。「ビデオゲームのようだ」ではなく「そもそもビデオゲームを意識している」

※4 「全部映像がつながっている」と意識しないと、なかなか観客は映画の技術に気付けない。
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