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2020年03月03日09:17

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3月が終わった。今年は大豊作の予感。

「Fukushima50 フクシマフィフィティ」に思うこと。Vol.1

 古希もかなり過ぎて、我が人生を振り返るに、結局は私の時間のほとんどは、好むと好まざるに関わらず、電力マンとして費やされたのだなと、シミジミと思わされざるを得ない。そんな私にとって、「Fukushima50」は言いたいこと山積である。前回の日記で記したように、世評もにらみながら、長期にいろいろ映画を中心に述べてみたい。今回は、その第1回である。

「Fukushima50」は、さりげなくキーワードを示しつつ、かなり多面的に、この事故の全体像に迫っていると思う。しかし、当時の福島をよく再現できたものだ。何といっても現在の発電所は建屋も吹っ飛び、全く原型を留めていないのである。CGならではの威力を発揮した21世紀の映画ならではのパワーだ。

 地震発生直後のシーンで、「止める、冷やす、閉じ込める」の標語を記した額が落下し、それがアップで示される。冒頭で見事なポイントが示された。この映画は、実に巧みにさりげなくキーワードが散りばめられているが、これもその一つだ。。原子力発電所は、何か異変があれば緊急炉心冷却装置が作動し、まず原子炉・発電機を停止する。「止める」である。続いて、格納容器内に注水が開始される。「冷やす」である。格納容器も建屋も頑丈に設計されており、あの大地震でもビクともしなかった。「閉じ込め」に成功したのだ。

 これで終りのはずだった。現場技術者は歓声を上げることはなくとも心の中では、「ヤッタ!」と快哉しただろう。あるいはY2K問題の時、2000年午前0時が何事もなく過ぎた時、東電中央指令室で拍手が起こったのだから、そんな風景があってもおかしくあるまい。

 しかし、我々は知っている。その後の津波による電源喪失で、この映画で描かれた修羅場に突入することを…。多分その瞬間、現場の人間は何が起こったか判らず、頭が真っ白になったであろう。天国から地獄への急激な落下である。残念ながら津波による事故拡大は既知の事実であるから、映画でそのあたりは、当然の如くサラリと繋がれるが、欲を言えば私としては、その瞬間の現場技術者の安堵から奈落への転落の深さを、無いものねだりだが表現して欲しかった。

 こんな調子で続けていたら、キリが無いので、今回はここまでにしたい。次回は我が電力マン人生を回顧することに絡めて、さらに続けていきたい。


2月25日(火)  新文芸座  さらば銀幕の番長 追悼 梅宮辰夫

「かも」(関川秀雄)
キワ物めいたタイトルに反して、成澤昌茂脚本を得ての社会派・関川秀雄監督作品。夜の街の女の哀れと、それに怯まずにしたたかに生きて行く女性群というあたりは、確かに溝口健二の遺伝子が垣間見える。でも、溝口時代と異なり、女は最初から哀れな境遇で止むをえずに身を堕としたのではなく、地道に働いても浮かばれないとの打算から水商売に転がりこんで来たのだから、ちとニュアンスが異なる。真面目に働いても浮かばれない高度成長期の下積みの怨念がそこにあるとしたら、社会派・関川らしさであろう。女を食い物にする梅宮辰夫の色男ぶりは、ピカレスクとして輝くが、プログラムピクチャーの大衆映画としてそこに徹するわけにも行かず、最後は因果応報の目に遭うあたりは、限界のようだ。(まあまあ)

「ダニ」(関川秀雄)
こっちの脚本は職人・下飯坂菊馬。関川秀雄の監督ぶりも、女たらしスター梅宮辰夫のモテモテ色男ぶりの魅力を輝かせることに徹底する。でも、「かも」同様ピカレスクの面白さに徹せるわけもなく、やはり因果応報の凡な幕切れであった。(あまりよくなかった)

 この時代、私は東映任侠の大ファンだったのだが、意外や梅宮映画に縁がなく、この2本は今回の追悼上映が初見。これには訳がある。この時代、安く上げるために、私は2、3番館通いだった。この手のコヤは、各社のA面混成で番組を組む。後年では、「網走番外地」と「男はつらいよ」や、「トラック野郎」と「男はつらいよ」と、豪華番組を低料金で楽しんだ。梅宮作品はB面だから、当然ながら私には縁が薄かった。ちなみに「かも」のA面は「昭和残侠伝」、「ダニ」のA面は「日本侠客伝 関東篇」である。


2月26日(水)

 立川シネマシティ

「1917 命をかけた伝令」(サム・メンデス)

 全篇で奇跡のワンカット映像と、話題を集めているが、それ自体は大した問題ではない。

 ワンカットは、映画の原点であった。リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフは、1分弱であった。当然、ワンカットというよりは、その制約の中で、何をまとめて描くかが、課題であった。

 その後、エイゼンシュテインを中心として、モンタージュなる考え方が発し、映画技術も進歩して、フィルムはワンロール10分までに拡大した。この時点において、ワンカットはもはや制約にしかならなくなった。モンタージユを駆使するのが映画の魅惑ならば、何も10分ワンカットを廻す必然性は何も無い。

 好奇心旺盛のヒッチコックが、これに挑戦した。「ロープ」である。ロールチェンジをカット割で工夫し、あたかも全編ワンカットに見える映画を目論んだのである。でも、これが面白いかどうかは別で、世評は実験性は認めるものの、ヒッチ映画としては高い評価には至らなかった。

 だから、全編ワンカットには、何の価値も無い。ましてディジタル時代、ワンカットをどこまで延々と展開できるかは、技術的にはどこまでもできてしまうだろう。問題はその手法で、映画ならではのモンタージュ技法を越えて、どんな映画的魅惑を表現したかだ。

「1917 命をかけた伝令」は、その意味で全編ワンカットの魅惑を構築した傑作であった。厳密には全編ワンカットでは無い気がする。以前「バードマン」が同じ売り込みだったが、これも全編ワンカットに見せかけただけの、疑似ワンカット映画だった。でも、それも大した問題ではない。

 冒頭、第一次大戦風景が描写される。前線の後ろののどかな草原で兵士がくつろぐ。前線にやや近い場所では、食事・兵器手入れなど、兵士が戦闘への準備を進める。そして、延々たる塹壕の中で、兵士は臨戦態勢だ。

 これまでの映画だと、その各情景を、まずロングで紹介し、個々の登場人物にアップで迫る。まず全景をイメージさせられた我々は、アップを見つつも、背景にある壮大な前線風景をイメージするわけである。

「1917 命をかけた伝令」では、それをワンカットで延々と追い続ける。さらに、その後の敵ドイツ軍が放棄した塹壕までを、中間緩衝地帯も含めて、延々とワンカットで追い続けるのである。このモンタージュで盛り上げるべきスペクタクル感を、物量スケールでワンカットで押し切り、その大きさに我々は完全に圧倒される。

 この後、ドイツが放棄した塹壕での爆発で、画面は砂塵で覆われるから、ここからワンカットではなくカット変わりと思うが(そんな技法の問題はどうでもいいが)、まずは第2幕開幕である。

 ドイツ軍が放棄したと思われる廃墟の村々を、警戒しつつ前進する二人の伝令兵のサスペンスも、ワンカットの効果がフルに発揮される。突然、上空で空中戦が展開されるが、納屋に逃げ込んだ二人に撃墜されたドイツ機が突っ込んでくるワンカットの凄さは(CGがあるのかもしれないが)、もう比類がない。

 一人生き残った伝令は、廃墟の中で敗残兵と思われるドイツ兵と遭遇。銃撃戦の末に失神。画面は暗転した後、同アングルで意識回復するが、ここもカット変わりだろう。どのくらいの時間経過なのか。外は昼から夜になっており、外は戦闘状態のようだ。しかし、失神していたので状況は全く不明。そんな状況でのワンカットで綴られる戦闘は、圧倒的緊迫感だった。

 そして、響きわたる夜明けの鐘。撃ち合いながら逃げながら、次第に夜が明けていく。ここもワンカットならではの迫力だ。

 以前「ヴィクトリア」というワンカット映画があった。夜明け前に始まり、白々と朝日が当たるところでてエンドとなる。この解放感は素晴らしかった。夜が明けるというのは、ある種の感動を起こすものである。(特に夜明けが遅い冬の時期はひとしおだ)それをワンカットで見せてくれるのは、やはり映画ならではの魅力あろう。

 残念なのは「1917」のこのシーンでは、伝令兵が逃走中に、いったん川に潜伏し、水中にカメラが移動することだ。カット変わり?いずれにしても、夜明けの魅惑をワンカットで魅せる魅惑は、半減してしまった。

 そして、伝令は友軍と合流、戦端は開かれつつあった。伝令の役割は果たせるのか。延々たる塹壕の移動から、乱射乱撃の戦場を、彼は走る走る、ここはもうワンカットでなければ出せない大迫力だ。

 伝令の使命は果たせたが、命を懸けたこの使命も、次の日は参謀本部の恣意でどうなるか判らない。その虚しさも深い余韻を残す。

 使命の後、亡き戦友の兄を前線で探す。果たして会うことができるのか。延々たるサスペンスフルな映像、これもワンカットならではだ。

 ラストは、家族の大切さという平凡ながら爽やかな幕切れで締めくくる。私は平和への祈りとして、十分に感動した。全編ワンカット手法はどうでもいい。問題は、それがどう映画的感動に結びついたかだ。サム・メンデスに外れなし。ここでも、それは証明された。(よかった。ベストテン級)


「名もなき生涯」(テレンス・マリック)
「サウンド・オブ・ミュージック」も連想させる山と谷に囲まれたオーストリアの美しい農村。一人の農夫が良心に基づき、ヒトラーへの忠誠を拒絶する。といっても、大それた行動に出たわけではない。ハイルヒトラーの挨拶をしないこと、戦争推進のための国家手当を受けない程度のことである。それだけで孤立し、村八分になっていく。それが前半、後半は召集された後もハイルを拒絶し、国家反逆で告発される。3時間弱の大長編だが、このような2部構成でもあり、テレンス・マリックの抑制の効いた静謐で流麗な映像が、長さを感じさせない。村八分も獄中の私刑も、マリック流映像で激しくは描写されないが、それがさらに残酷さを増幅する。自らの心を素直に教会に訴え、裁判で訴えても、神父も弁護士も、妥協による国家への協力を促す。召集も食料増産に必要な農民であるから、国家都合でかなり猶予され、召集後も病院勤務による国家協力を提案されたりする。とにかく単純な弾圧ではなく、まず協力者を増やすとのドイツ流合理主義が、非国民として「右へ倣え」「長い物には巻かれろ」の非論理の抑圧をかける感情的な日本流と対照的なのが興味深かった。(よかった)


2月27日(木)
 国立映画アーカイブ 長瀬記念ホール OZU
                    戦後日本ドキュメンタリー映画再考
「アントニー・ガウディー」(勅使河原宏)
ザグラダ・ファミリアを中心にして、建築は美術だとの視点で、勅使河原宏が現地の人々の生活も交え、カメラに納めていく。それなりのユニークな視点を感じた。(まあまあ)

 日暮里サニーホール・コンサートサロン  無声映画観賞会
                  西の帝キネ・東の大都 大衆時代劇特集
「少年馬子」(吉野二郎)
無声映画観賞会暦20年の私にして初見の教育映画の珍品。母は亡く父親が病、姉は盲目。そんな中で健気に馬子で働く少年。そんな中で、荒くれ馬子仲間も、放蕩息子達もその姿に打たれ、協力者になる。いかにも、昭和6年の教育映画ならではの展開で、可もなく不可もない。弁士の山内菜々子はかなり腕を上げてきたが、澤登翠師匠のコピーに近づいている感も免れない。でも、全ては真似から始まるもの、今後への期待は大だ。(まあまあ)


2月28日(金)  国立映画アーカイブ 長瀬記念ホール OZU
                    戦後日本ドキュメンタリー映画再考

「春を呼ぶ子ら 進路指導シリーズ 展望編」(松本俊夫)
義務教育を終えた子供達は、どのように将来の進路を定めていくのか。昭和34年作品、高度経済成長目前の時代の風景。この3年後に、同じ立場に立つ私には感慨深いものがあった。松本俊夫作品として何かを求めたが、それ以上でも以下でもなかった。(まあまあ)

「西陣」(松本俊夫)
昭和36年作品。伝統工芸が、経済成長の工業化の中で、伝承の危機にある風景を、追っていく。手堅いドキュメントだが、意外と松本俊夫に期待する斬新な視点はない。(まあまあ)

「石の詩」(松本俊夫)
石切現場を著名写真家のスチールに、詩的ナレーションと音楽を被せた映像詩。前衛的であるが、馴染みにくいということはない。(よかった)

「凧」(松本俊夫)
国際交流基金企画の日本文化海外紹介映画ということからだろうか。それなりに卆なく美しくまとまっているが、松本俊夫に期待した才気はあまりかんじられなかった。(まあまあ)

 前衛映像作家にして映像論の論客としての松本俊夫初期短編集として期待したが、意外と手堅いドキュメンタリーの連続で、安心して楽しめたり、肩透かしをくらったりという意外な印象だった。

 私は初期短編はATG公開された「母たち」だけしか観ていなかったが、意外とオーソドックスな詩的ドキュメントだったのに、やや唖然としたが、松本俊夫は、映像論はともかく、案外と大衆的感覚の映画作家だったのではないか。

 劇映画デビューは際物的側面もある「薔薇の葬列」、「十六歳の戦争」はある意味でアイドル映画、「修羅」は馴染みにくい歌舞伎ネタを判り易く纏め上げたし、「ドグラ・マグラ」は難解な原作を実にシムプルに構成してみせた。「主体の客体化と客体の主体化」が映像であると、論破した論客のイメージだけに私は囚われすぎていたみたいだ。


 2月を終わっての今年のスクリーン初鑑賞作品は49本。ベストテン候補は次のとおり。(順不同 鑑賞順 キネ旬に準じ年末12月20以降公開は本年扱い)

[日本映画]
「男はつらいよ 50 お帰り 寅さん」「mellowメロウ」「his」
「風の電話」「Fukushima50 フクシマフィフィティ」

 以上5本。鑑賞作品17本からの選出。有力ベストワン候補は「Fukushima50 フクシマフィフィティ」

[外国映画]
「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」「パラサイト 半地下の家族」
「リチャード・ジュエル」「ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密」
「CATS キャッツ」「1917 命をかけた伝令」

 以上6本、鑑賞作品13本からの選出。有力ベストワン候補は「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」

 まだ年の1/6が終わって、ベストテン候補は邦洋とも数本、今年は大豊作の予感だ。

 今月の万歩計累計343,877歩(日平均11,858歩)

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