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2019年08月14日22:44

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古代建築

ピラミッドは公共事業だった、という説が紹介されてしばらく経ちました。それまでの常識では、支配者が自らの権威を誇示するために奴隷に強制労働をさせて、もしくは税の代わりに民衆にただ働きをさせて建設したと考えられており、労働者の落書きなどから給料をもらい、休みを取りながら快適にピラミッド建設に参加していたことがわかってきました。考えてみれば、例え過酷で危険な作業であっても、伝統や民族の誇りをもって自発的に参加する伊勢神宮の遷宮のような行事があるのですから、ピラミッド建設が同様に行われたとしても何の不思議もありません。とは言え、古墳の建設等もピラミッド同様に奴隷労働によるものと言う説が普通だったのですから、「常識」の影響は強力です。

日本で考古学が始まったのは、お雇い外国人の注目がきっかけですから、古墳建築がピラミッド同様の方法で行われたという常識が定着したのはそのせいでしょう。当時は様々な祭りが古代の文化とつながっているという認識も薄かったでしょうし、現在より発展史観が強固で、さらには欧米列強へのキャッチアップが至上命題だったことまで考え合わせれば、その考え方を否定する見解が主流になることは難しく、「強大な権力を持つ」国家元首の方が「民衆の豊かな暮らしを実現する」よりも立派でカッコよく聞こえた、という事情もあるかもしれません(本当はそうできるのに、民衆に自由を与えている、と言う方が慈悲深く感じられるし)。

旧い祭りが残っているような地域では、なかなかに人間関係も濃密で、祭りのときについてゆけない人間に居場所はなさそうです。ピラミッドや古墳の建設が自発的で強制労働ではなかったにしても、それを万人が喜んで受け入れていたとは思えません。古代ギリシャの民主主義も現在のような厳密な投票制度などではなく、民衆の立つ受け継も「みんな、この案で行くぞ!いいな!」「オー!」「よし、多数決で決まりだ!」と言うノリだったという話も聞きますし、ソクラテスの逸話などを聞いても、それほど個人の自由がきちんと確立されているわけでもなかったようですから、私のようなタイプは洋の東西を問わず現代の方が気ままに活動できるように思えます。
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