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2019年08月13日22:41

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古典

私が子供の頃は、子供には昔話の絵本を読ませるもの、みたいな常識があり、そういうシリーズもたくさんありました。ところが一時期(、なのか、現在も続いているかはわかりませんが)昔話の残虐性がどうのとか、道徳的に問題がとか、いろいろと異議が頻発し、すっかり昔話は常識ではなくなりました。子供が昔話を知るのはいわゆる「アニメ絵本」かディズニーの改変されまくったヨーロッパの話くらいで、実際に我が家の子供たちも知らない、もしくは、ラノベやアニメのネタになって間接的にしか知らない、というものがほとんどです。

昔話に限らず、伝説や説話など、現代的な視点で考えるとおかしな話だったり、道徳的に問題があったりする場合はもちろんあります。それでも、「このような話が伝えられていた」と言う事実は変わりませんし、まして、パロディーなり元ネタなりとして活用されているものであれば、残しておく必要があるように思えます。とは言え、私たちの世代で一般的だった物語が「原型」なのかと言えば、そんなことはなく、例えば明治時代なり、戦後の教育改革なりで教科書に採用されて広く知られるようになった話とか、高度経済成長期に出版社がヒットを飛ばした企画の掲載作品だったといった「時代のニーズ」にあった物語であり、私が自分の世代で知っているものと現代に流通しているものの内容が異なるからと言ってどうこう言う筋合いはないのかもしれません。ただ、言葉と同様に文化もベースとなる共通認識があってこそ成立するものなので、例えば桃太郎やら金太郎やらの「物語の構造」が伝わるような共通認識があってこそ、「桃太郎みたいな」「金太郎じゃないんだから」と言った表現が成り立つわけで、「これなら世代、地域を問わず通じる」という物語はあったほうがよい(というより、必要?)ではないでしょうか。

以前にも日記に書いたように、古典と言っても結局はどこかで生まれ、多くの人に広まり(=流行して)、それが語り継がれて古典になるのですから、その元ネタがグリム童話だろうが、「遠野物語」だろうが、その時代とその文化に受け入れられた共通認識は何かしら生まれているのでしょうから、「これが失われた」「これを伝えるべき」などと考えるだけおこがましいのかもしれません。
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