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2019年08月04日01:14

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素質と教育

以前、才能についての本を読んだとき、自分の話に反論されるのを嫌う人はセールスマンに向き、反論されるのを楽しむ人は教育者に向いている、とありました。優秀なセールスマンになれる人は商品の良さで買ってもらうのではなく「自分を信用して買ってもらう」ことが多く、反論されるのは信用されていないからだ、と、思ってしまうからだそうです。私は明らかに後者で、反論されると自分の主張をそういう方面から見ることが出来るのか、と感心して、新たな知識を得るきっかけになるかもしれないと感じます。そういう意味で言えば、信用している人の発言だからと言って無批判に信じることを望むような人から商品を買いたいとは思いません。もちろん、優秀なセールスマンであれば、私が欲しいもの、望む売り方を理解して反論されないような話を持ち掛けるのでしょうし、教育者であれば相手が望まなくても「正しい知識」を理解してもらう必要があるので、この考え方は正しそうだと感じました。

この本のよいところは、才能を「業務の生産性に寄与する考え方や習慣」と定義していることで、反論されて腹を立てるか喜ぶかでセールスマンになれるかどうかを決めるのではなく、反論されて喜ぶような人は「伝説のセールスマン」を目指すのではなく、セールスマンに向いてない人がセールスの成績を向上させるための方法を磨くべきで、それによってセールスマンに向かないはずの考え方をセールスの才能として生かすことが出来ると言います。その代表が、いわゆる説得型セールスで、商品の選別方法を理解してもらったうえで自社の商品を選んでもらう、と言う方法です。もちろん、最善の選択が自社の製品であるようなお客さんにしか売れませんが、セールスに向かない人が「セールスマン向け」の販売方法で売ろうとするよりよほど成績がアップするでしょう。

成果を最大化するためには、適切な戦力を確保することも大事ですが、望むだけの人材を必ず確保できるわけではありませんから、得られたリソースを最大限に活用することも重要です。人を信用して商品を購入する人には正統派のセールスマンを、私のようなひねくれものには教育型のセールスマンを向かわせれば、望ましい戦力を確保できた時よりも成績が良くなるかもしれません。全てが思い通りになるとは限らない中では、望ましい教育も「全員同じ」にはなりません。
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