mixiユーザー(id:7850057)

2019年04月25日05:59

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学びってさ

「今、小学校たいへんなことになってるみたいよ」
と妻が言ったのは、もちろん一子shu-2の学校生活を考えての話しなのだろうけれど、通っている学校やクラスの直接の話ではない。

 4年生、5年生あたりで勉強についていけない子がたくさん出てくる。それというのも、一年生あたりからドリルの反復練習など「やらされる学習」が多く、イヤになってしまうからなのだという。

 意味もわからず、ただ反復練習では面白くないし、イヤになるのもよくわかる、と。

「だからshu-2は、宿題が出てもしなくていいから」

 こういう親は、学校側の立場としてはめんどくさいだろうなぁ、と一応、教育関連の仕事をしている俺は思った(苦笑)。

 ただ、だからといって妻の意見に反対しているわけではないのだ。
 
 言っていることは、もっともだと思う。妻の発言は、いろいろ教育関連の本を読んでのうえのことらしいので、勝手に考えた話でもないようなんだけどさ。

「子どもたちの成績がのびないから、先生たちも悩んで宿題をいっぱい出して、また悪循環になっちゃうんだって」
というのは、そういう本に載っていた話らしいけど、そこまで短絡でもないだろうとは思う。

 ただ、反復練習をやらせる、とか、他律的な学びに行きがちな傾向はなんとなくうかがうことができる。

 自分の頭で考えて、理解を進める、いうなれば自律的な学びっていうのは、教室で教えるのは難しいだろうからなぁ。

 この自律的、他律的というコントラストは、今読み終わったばかりの菊澤研宗著『ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー』にあった言葉だ。

 教育関連の話ではない。ビジネス寄りの話である。

 そこでも妻が教育現場の問題としてあげたのと、同じような問題意識を感じたんだよね。

 それについては、まだ咀嚼しきれてない気がするので、いずれまとめることとして。

 以前読んだiPS細胞の山中先生が、オリジナリティのある研究をするのは決して難しい話じゃなく、ただ自然に向き合えばいいんだ、みたいな話をしていた。

 見方をかえれば、それが難しいのは自然に向き合ってないからであって、つまり与えられた課題、うがった言い方をすれば、流行りの研究テーマになんとなくのっかっちゃってるからだろう。

 その根本は、初等教育からの「いわれたことを繰り返す」学びにあるように思えてきたな。

 教育改革とかでそのあたりなんとかしたい、という意欲もあるんだろうけど。

 自律的な人間をつくるって、その表現自体に矛盾したものがあるくらい難しいことなんだろうね。

 いや、だからこそ、学びは面白い、と言いたいところ。

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