アンリ＝ルイ・ベルクソン（Henri-Louis Bergson)。かつて日本では「ベルグソン」と読まれていましたが、原語での発音に忠実にするならば「ベルクソン」となります。
彼の哲学は膨大なものですが、生前に出版されたものは意外とコンパクトで、原書だと暑さ3.5�僂曚匹涼厩塰椶砲垢戮討�収まってしまいます。
なお、他に彼が生前に出版を許可しなかった講演集や雑文などを死後にまとめたものが同様のサイズで一冊、死後に刊行されました。
ベルクソンの死後から時間がずいぶん経過したので(忌日は1941年1月4日)、わが国でも翻訳が自由になり、今までは岩波文庫や白水社の全集でしか日本語版が限定されていたのですが、今では他の出版社からも発行されています。
なお、彼の西洋哲学史の講義本が日本ても刊行されていますが、「これはどうやら贋作だった」と、私は翻訳者からじきじきに聞かされました。
ベルクソンはポーランド系ユダヤ人を父、イギリス人を母としたハーフです。
誕生後数年は、家族とイギリス・ロンドンで生活を送ったため英語をもっぱらとしていましたが(母親の影響も大きい)、彼が9歳になる前に、彼の家族は、フランス、ノルマンディー地方マンシュ県に移り居を構えたため、今度はフランス語をあやつるようになりました。
青年時代にはパリ大学で人文学を専攻したのですが、そこでの教授たちの講義(主に新カント派)になじめず、ハーバート・スペンサーの著作を熟読して、実証主義・社会進化論への理解を深めてゆきました。
1881年に受けた教授資格国家試験では、現代心理学の価値を問う試問に対し、現代心理学のみならず心理学一般を強く批判する解答をしました。そのため、審査員の不興を買うことになり、ベルクソンは2位で合格する羽目となりました。
合格後、リセ教師となったベルクソンは、アンジェのリセ・ダビッド＝ダンジェ (Lycée David-d'Angers) 、クレルモン＝フェランのリセ・ブレーズ＝パスカル (Lycée Blaise-Pascal de Clermont-Ferrand) などで教師として教えるかたわら、学位論文の執筆に力を注ぎました。この時書かれたのが、彼の四大主著の一番目となる『意識に直接与えられたものについての試論』(執筆時は学位論文として)です。英訳の題名は「時間と自由意志」であることからも分かるように、これはベルクソンの「時間論」です。
余談ですが、私の卒業論文はベルクソンの心身二元論だったので、この著作で触れられてはいないかと原書と苦労して格闘したのですが、運が良いのか悪いのか、該当する箇所は一つだけでした。
ベルクソンは翌年、この論文のおかげで文学博士号を授与されました。
ベルクソンは、空間的な認識である分割が不可能な意識の流れを「持続」（"durée"）と呼び、この考えに基づいて、人間の自由意志の問題について論じました。彼の考えでは、意識の持続こそが「時間」なのであるということなのです。
1896年には、ベルクソンは、哲学上の大問題である心身問題を扱った『物質と記憶』を発表しました。この本は、ベルクソンにとって第二の主著であります。
失語症についての研究を手がかりとして、物質と表象の中間的存在として「イマージュ（"image"）」という概念を用いつつ、心身問題に取り組みました。
この著作の中でベルクソンは、「実在」を「持続の流動」とする立場から、心(記憶)と身体(物質)を「持続の緊張と弛緩の両極に位置するもの」として捉えました。そして、その双方が持続の律動を通じて相互にかかわりあうことを立証したのです。
生涯を通じて大学の正式な教授になることはなかったベルクソンですが、1900年よりコレージュ・ド・フランス教授に就任し、そこで広く一般の人々を相手に講義をすることになりました。ベルクソンの講義には永遠不死の秘密がこめられているとの勘違いから、ベルクソン自身が辟易するほどの人気を得、大衆的な人気を獲得しました。主にこの時期に行った講演がベースとなる『思想と動くもの』という著作で「持続の中に身を置く」というベルクソン的直観が提示されることとなります。
この本の中で、ベルクソンは、当時人口に膾炙していたスペンサーの社会進化論から出発し、『試論』で意識の流れとしての「持続」を提唱しました。そして、『物質と記憶』で論じた意識と身体についての考察を生命論の方向へとさらに生命の進化を押し進める根源的な力として想定されたのが、"élan vital"「エラン・ヴィタール 生命の飛躍（生の飛躍）」でした。
ベルクソンはここで、普遍的なものが実在するという大胆かつ前科学的な立場を肯定しており、経験論、唯名論に対する少数派、中世的な実在論に身を置いています。このあたりが、近代的な実証主義に身を置く人々から批判の対象とされるところです。
ベルクソンの文章は、明快かつ美しい文章で書かれているため、散文としての評価も高く、1927年にはノーベル文学賞を受賞しています。哲学だけでなく、文学的な見地からも彼の文章は認められたのです。実際、フランス語で読んでいると、彼の文章の美しさに陶酔することが若き日の私にもありました。
1932年に最後の主著として発表されたのが『道徳と宗教の二源泉』でした。この著作では、社会進化論・意識論・自由意志論・生命論といったこれまでのベルクソンの議論を踏まえたうえで、人間が社会を構成する上での根本問題である道徳と宗教について「開かれた社会／閉じた社会」「静的宗教／動的宗教」「愛の飛躍（"élan d'amour"）」といった言葉を用いつつ、独自の考察を加えています。
この著作では彼の文章はますます美しくなり、実際、ベルクソンを専門としていない哲学科の教授からも、「彼の"élan d'amour"は、僕も本当に好きだよ」と声をかけていただいたことがありました。
ここには生命の進化の原理であるエラン・ヴィタールの人間社会版とも言える内容が展開されていて、大哲学者が晩年に人類に託した希望の書と呼べる内容になっているのです。
ベルクソンは師を迎える少し前、カトリック教徒に転じました。
これが小林秀雄が大きな影響を受けたベルクソンの思想です。小林を研究する文芸評論家によれば、「小林秀雄の哲学の70％はベルクソンだ」とのことです。
ベルクソンは霊やテレパシーなどを論じた論文を残してもおり、それらは『精神のエネルギー』に収められています。ここらあたりの影響も、小林は大きく受けています。
小林秀雄は、1958年から63年に「感想」の題名で、<ベルクソン論>を『新潮』に連載しましたが未完作に終わり生前は未刊行でした。2001年より刊行開始した『小林秀雄全集 別巻1』と、『小林秀雄全作品 別巻1・2』（現代かなづかい・語注入り、各・新潮社）に収録されていますが、論考は破綻に踏み込み、明らかな失敗作です。読む値打ちは十分にありますが、生前の小林はこの作品の単行本化を固く禁じておりました。
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