源頼朝が熱望した長女・大姫の入内(じゅだい)の行方
頼朝と政子の長女・大姫は、木曽義仲の人質として鎌倉に送られてきた義仲の息子・義高の許嫁(いいなずけ)でした。
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木曽義仲が討伐されると、仇討ちを予防するため義高も殺されてしまいました。大姫は義高の死によって心を病み、頼朝と政子は彼女の嫁ぎ先に頭を悩ませることとなりました。
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最初は大姫を近衛家に嫁がせる案が持ち上がります。しかし頼朝が近衛家と対立している九条兼実と親しくしていたことから立ち消えとなります。
(『鎌倉殿の13人』と違うところ)
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親戚の貴族との縁談が持ち上がりますが、大姫が拒否したことで流れました。そこで頼朝は、年齢が近い後鳥羽天皇の妃として大姫を入内させめことを考えます。
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朝廷との顔つなぎ役だった兼実が失脚したことで、頼朝は朝廷の実力者である丹後局と土御門通親に接近し、大姫を入内させるための裏工作を開始します。
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しかし、通親の養女が後鳥羽天皇に寵愛されて第一皇子を出産していたため、頼朝の裏工作はなかなか実らず、1197(建久8)年の大姫の死により水泡に帰してしまいました。
参考文献
『現代語訳吾妻鏡』 五味文彦・本郷和人 (編) 吉川弘文館
『愚管抄 全現代語訳』 慈円(著) 大隅和雄(訳) 講談社学術文庫
『中世王権の形成と摂関家』 樋口健太郎(著) 吉川弘文館
『日本中世の朝廷・幕府体制』 河内祥輔(著) 吉川弘文館
『世にも不気味な日本史 闇にうごめいた謎の人物篇』
歴史の謎を探る会(編) 河出書房新社
次回は「十三人の合議制」
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