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2019年03月29日20:22

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婆さん達との天地雲泥の差

前回記事の続きざんす。

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・・・そういう流れとなると、今回予定の用件の一つである「ナラヤーナ・セーヴァ」への別枠ドネーションを実施するには、もっとも適切なタイミングであろうから、本日のお茶の時間の前にキャッシャーに出むく事にしよう。

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というわけで、案件処理。

この「ナラヤーナ・セーヴァ」を巡っての、一連の「アシュラムでの食事」に関しては下記ファイルを是非ご覧頂きたいのだが、

http://onbsras.sakura.ne.jp/ramanasramam-holder/inpressionaboutfoods.htm


今回あらためてこの「ナラヤーナ・セーヴァ」に対するドネーションをしよう・・と思ったのは、現地発行日本語版NL「SILENCE」の第○号記事の内容に感銘・・・というよりも、「我が身を振り返らざるを得ない衝撃」を受けたからでもある。

https://us17.campaign-archive.com/?u=8e888c543be244c5e5fb7ad06&id=9357e893d5


つまり、ここで紹介された婆さんたちの「純粋なる営為」に、「うむむむ・・・」と唸らざるを得なかった、のざんすよ。



もとより時代背景、そしてラマナ御自身が置かれていた環境は現在とまるで異なっていることはいうまでもない。

アシュラムが大きくなってきて、「参集した信奉者たちに食事を振る舞う」ことが出来るようになったのは、「旧食堂」が完成した1938年以降のことではないか?・・・と思われるし、

そんな風にラマナが「有名」になって、アシュラムに寄付が集まるようになる以前には、ラマナの元に集い共に生活されていた信奉者たちは、毎日ティルヴァンナマライの街に降りて「托鉢」して食料を集めてきた・・のである。


アシュラムのテーマソング?でもある「アクシャラ・マナ・マリ(邦訳名「文字の結婚花輪」)」にしても、そもそもは信奉者達の「托鉢に出かける際に皆で唄う歌」を作って欲しい・・・という嘆願に応えてラマナ御自身が作られたものである。






後年になってラマナは、「あの歌は我々を随分と『養って』くれたものだ」・・・と述懐されている位だが、そういうような厳しい時代に前述の三人の婆さんたちは、

「ラマナから食事を振る舞って頂く」のではなく、現代の私たちとは全く正反対に、「ラマナへ食事を奉納する」ことを自らの使命としていた・・・わけざんすね。



ご存じのように私は、当地滞在生活においては「食って寝て歩く」を最大の信条とし、「アルナーチャラの宣伝・案内屋」というよりむしろ「ラマナアシュラムの『食客』」をこの22年というもの自認してきて、「アシュラムの飯を振る舞って頂く」ことを無上の喜びとしている・・わけだが、

この婆さんたちは、それぞれ自分たちが「ラマナに食事を奉納する」ことをバクティの証として生涯に渡って実践されていた・・のですな!!

これはもう私なんぞとは「天地雲泥の差」ではないか!!


こうなるとバクタとして「筋を通す」為には、私も何かしなければ・・と考えたとき、もはや肉体無きラマナに「食事を奉納する」ことはできないが、

ラマナ御自身が重要視されていた「ナラヤーナ・セーヴァ」に対して、「身分相応のドネーションをする」ということを思い立ち、今次滞在での案件とした・・・のであった。今後の訪問時にもこれを続ける所存である。



さて「奉納」といえば、この日(27日)の夕食後にアシュラムのニューホールにて信奉者のアーチストによる「奉納コンサート」が開かれた・・のだが、インド人信奉者のアーチストによるインド音楽や舞踊の奉納は特に珍しいことではない。

ところが今回のプログラムは、西洋人信奉者のアーチストによる「西洋クラシック音楽」・・・というのは、随分珍しいではないか!!



もっともさすがに楽器は本物?ではなく、キーボード(CASIO VRAVIA)ではあったが(まさか「グランドピアノORアップライトピアノ」を運び込むわけには行くまい・・かのミケランジェリならさておき・・笑)、



昨今ではもっぱら「美代ちゃん歌曲」を鑑賞しているものの、ジャンルとしてはクラシック音楽を長年聴き込んできた(主にバッハの鍵盤音楽・ベートーヴェンの後期作品群・ブルックナーの交響曲・パガニーニの一連の作品群・・が好みざんす)私としては、

いやあ、当地にてシューベルトのピアノソナタを生演奏で聴ける!・・・とは思いも寄らなかったざんすねえ!!



というわけで、久々に皆の者には「美代ちゃん動画&歌曲」を振る舞おうではないか!ありがたく受け取るが良いぞよ、わはははは・・・・・!!






美代ちゃんの映像は00:45辺りから。

6枚目のシングル「虹の架け橋(74年7月リリース)」のキャンペーン・イベントの一部。

・・・動画にはないが、あれこれの仕掛けが全部失敗し、このままの格好でファンの前で歌う云々・・で、ご当人が後年述懐して曰く「最悪の思い出の一つ」とのこと(笑)。










10枚目のシングル・・・結婚・引退前に発表された最後の歌となった(75年10月リリース)。当時既に吉田拓郎と交際中、「脱アイドル」を目指して試行錯誤していた頃でもあり、これまでの「美代ちゃんワールド」の片鱗もない「大人の歌」となっている。



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