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2019年01月25日15:43

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スカスカの心

おかげさまで、「冬の陣」は勃発から3日ほどで鎮圧に成功。
今日も冬の穏やかな日差しで光合成をしながら、のほほんと過ごしております。

本題。

私は2009年3月末日付けで某県庁を退職したが、1月下旬には通勤を終了させていた。
それから2ヶ月かけて撤退作業を行い、故郷へと敗走した。
あれから10年だが、県職員として積み上げたスキルは、見事に消え失せてしまっている。
農業の技術屋だった時代も「遠くなりにけり」という話であるが、実に虚しい限りである。

例えば、かけ算の九九は「九の段」まで覚えて、初めてかけ算ができる状態となる。
そして、九九は実生活で使われるなど、一生物の財産となる基礎知識である。
かけ算ができなければ割り算もできず、微分積分などは論外。
つまり、人間にとって基礎が重要であることは、動かしがたい事実である。

ところが、私が新人時代に覚えられたのは、せいぜい「五の段」までである。
それに至った経緯の詳細は割愛するが、すべてが人災によるものだと主張させてもらう。
使途を失った中途半端な知識は消える運命にあり、私の場合も例外ではなかった。
現在まで残っているのは、一方的に応用ばかりを強要された精神的苦痛だけである。
一体、あの組織のどこに教育的要素があったのだろうか。

農業の世界には「苗半作」という言葉がある。
これは「苗の良し悪しで、収穫が半分決まる」という、育苗の重要性を説くものである。
この言葉は人間にも適用できるが、私などは苗として扱われていたのかさえも疑わしい。
不用意に引き抜かれ、そのまま枯れて終わってしまったのである。

人間の場合、努力によって大成した「元落ちこぼれ」が、どの世界にもいるものである。
ところが、私は努力に価値を与えられず、進化の可能性さえ否定されてしまった感がある。
給与は発生していても、これでは労働者としての喜びなどあるはずがない。
明るい未来を信じ待ってはみたが、目の前には不毛な大地が広がっていただけであった。

まともに考えたら、絶望的になるだけの過去である。
だから、まともに考えず、こうして吐息の反映を書き連ねるに止めるのである。
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