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2019年01月17日17:23

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悪者の作られ方

「ブラック県庁」に対して、私が最も腹を立てていることのまとめ。

2004年4月に異動させられた私は心の病(うつ病)となり、ドン底の日々を過ごしていた。
約半年間の傷病休暇を余儀なくされ、復帰してもそこは「強制収容所」のままだった。
2005年度に入り待っていたのは、月給約20万円で、ただゴミ捨てだけを行う日々。

窓際公務員としての2ヶ月
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ここが私の人生における最底辺であるが、もはや怒りさえも感じない危険な精神状態だった。
当然、病気が治るはずもなく、この直後に入院を決断する事態となっている。
「その情報」が私の耳に届いたのは、入院生活開始直後の2005年6月前半のことだった。

当時の所属の幹部たちは、私の異動について「懲罰目的の人事」と認識しているとのこと。
つまり、私が病気になったのも「自業自得」だと言うのである。
それは、彼らが実施した農業試験場の元上司たちへの聞き取りを根拠とするものだが、
どうやらそこで無責任な吊るし上げが行われたらしいのである。
私の異動は不審な点が多かったが、それに乗じて不良職員という虚像が作られたのである。

試験場における私の失態として挙げられたのは、以下の2点。

「キノア(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8C%E3%82%A2" title="ウィキペディア :: キヌア" target="_blank">キヌア</a>)の研究において、作業を手伝わなかった」
「有給休暇の取得日数が、新人にしては多すぎる」

これだけを聞いて、異動させるほどの重い懲罰が必要だと思う人は少ないと思う。
私は自分の知らないところで何が起きているのか、しばらくわからなかった。
一発でレッドカードを食らうほどのことをしていれば、何らかの自覚が伴うものである。
しかし、「作業を手伝わなかった」については、まったく身に覚えがないのである。
「5W1H」の説明が不十分であり、これだけで白黒を議論するのは不可能な状態だった。

これらについて、過去に私への注意や警告が行われたという事実は存在しない。
数字として記録されている有給休暇に関する情報以外は、すべてが初耳。
まるでC級戦犯のように、罪状認否さえ行われないまま、悪者と断定されたのである。
これが彼らの正義なら、「強制収容所」は名実ともに刑務所以下の場所だったことになる。

「異動は懲罰目的」を検証してみる。
失態として挙げられた2点は、いずれも2003年度の前半に起こり得たこと。
もし、異動という重い懲罰が必要なら、年末の人事ヒアリングで話題とならないはずがない。
また、2004年度の人事が計画的なものではないことも、すでに証明されている。
以上のことから、反省と更生を促すための懲罰が正当性をもって課せられたとは考えにくい。
実際、私に懲罰を課せられるほどの罪があったのかも、極めて疑わしい状況である。

「作業を手伝わなかった」という告発は、作業の参加者からの指摘に他ならない。
よって、この時点で私より上位の職員による告発である可能性は低いと判断できる。
おそらく、技能員(現業職員)をはじめとする圃場スタッフからの苦情であったと思われるが、
この作業は私の主導で行われており、彼らはそうした作業を請け負うための人員である。
上から目線になるが、自分に彼らと同じ立場の経歴があるからこそ、あえて言うのである。
いずれにせよ、私が故意に手伝わなかったという事実は確認されていない。

有給休暇については、まったく話にならない。
そもそも、認められた範囲内での権利の行使が、なぜ懲罰の対象となるのだろうか。
試験場2年目の2003年、取得が認められていた私の有給休暇日数は、計29日。
そして、実際に取得した日数は、おそらく12日か13日である。
年が改まるごとに加算される日数「20日」を基準としても、取得率は約6割。
これは現在の日本における平均取得率とほぼ一致する。

特記すべきは、有休のほとんどが病欠によるものであり、ある一時期に集中していること。
そして、病欠のほとんどが、当時担当していたキヌアの研究を苦にしたものである。

2003年6月、私は未知なる研究を重荷と感じ、その兆候は心身の不調として現れた。
後から思えば「うつ」の初期症状であったが、そのときは短期間で立ち直ることができた。
ただ、病欠が連続したために、試験場の事務次長から傷病休暇の取得を勧められている。
このとき、室長である上司が同席しており、担当のリーダーにも伝わったものと思われる。

異動先の幹部が聞き取りを行った際、私の詳細を語れるのは、この2名に限られる。
聞き取りは、私が「心の病で休んでいる」という前置きがあって行われたものだろうから、
それ以前に不調の兆候が確認されていれば、その経緯が報告されて然るべきである。
また、有休の取得状況の詳細が確認されていれば、不審点が見つかったはずである。

ところが、異動先の幹部は、私の有休取得状況について、「生意気だ」などと言っている。
つまり、彼らは私が試験場時代に体調を崩した事実を把握していないということ。
どうやら、試験場の元上司たちは、偏った情報を流出させたようである。
そもそも、前年に健康不安があった職員を、本人の希望に反して放出するとは考えにくい。
私は一方的に落ち度を語られたことで、同情の余地を根絶やしにされてしまったらしい。

客観的に見て、私は優秀な職員ではなかったが、後ろ指を差されるほどの無能でもなかった。
私に落ち度があったのなら、それは新人特有の不器用さや視野の狭さに起因するものであり、
反省を促すのであれば口頭注意で十分だったはずである。
少なくとも、私が誰かに不快感を与えたのは事実だと思うし、大いに反省すべきだったと思う。
新人教育とはこうしたことの積み重ねであるはずだが、どうやら私の思い違いだったらしい。

新人の私は着任早々に3つのハンデを背負わされたが、その一つがキヌアの研究である。
これは現場の要請に基づくものではなく、大学との「大人の事情」で開始されたものである。
その担当者にされたのは私の本意ではなく、未知数の研究については常に懐疑的だった。

そんな私が不調に陥ったのは、新人として真面目に取り組んでいたからである。
そうした状況を知りながら、試験場の元上司たちは異動した私を完全に部外者として扱った。
ただでさえ立場が悪くなっている元部下に対し、さらなる転落を助長したことになる。
まるで、倒れている人間を救助することなく、冬の海に投げ捨てるかのような非道である。

私なりの結論をまとめると、以下のようになる。

試験場の元上司たちは聞き取りに対し、ここぞとばかりに私への不満を漏らした。
落ち度があったとの指摘さえも行わなかった彼らの証言は、ただの悪口でしかなかったが、
それを鵜呑みにした異動先の幹部が、私が異動したという事実ありきで、懲罰と結論づけた。
根拠に乏しい中での一方的な決め付けで、私に弁明や反論を行う隙さえ与えなかった。
要するに、私はどう転んでも厄介者として扱われる運命にあったということである。

あくまで私見だが、2004年度の人事は、私の後任者を試験場に配置することが目的だった。
しかし、彼の異動先は別に確保されていたため、再編成には辻褄合わせが必要だった。
つまり、彼とほぼ同じ年齢の試験場職員を、予定されていた異動先へ配置換えすること。
その結果が、私の「強制収容所送り」である。

現段階では仮説にすぎないが、状況証拠と照合すると、見事なまでに辻褄が合う。
よって、私が罪を犯し、懲罰で異動させられたという話は「デタラメ」と断定してよいと思う。
ブラック県庁において弱者とされた者は、当たり前のように人権や尊厳が無視される。
私の実例は、それのいい見本というところだろうか。

2005年の入院中、私は前年に起きた器物破損の嫌がらせについて、幹部に相談していた。
しかし、彼らは意味不明な物言いに終始し、「嫌がらせはなかった」と結論づけた。
所属長に至っては、「自分でやったのでは?」と、私の人格を否定するかの発言をしている。
要するに、私は生かす価値のない存在として、切り捨てられたということ。
この一件で、私は向こう2年半もの休職を余儀なくされ、これが退職への致命傷となっている。
かくして、組織ぐるみのリンチは貫徹されたのである。

以上がおおよその全容なのだが、これらは単に不心得者たちの戯言と愚行にすぎない。
なぜ腹が立つのかというと、一連の話を初めて私にしたのが、自分の両親だったからである。

2005年6月、私の入院を受け、両親が所属を訪れて幹部から話を聞く場面があった。
何の根拠もない暴論が、何の事情も知らない被疑者の身内に堂々と語られたのである。
息子が入院して不安を抱えている相手に対し、容赦ない物言いが行われたのである。
幹部たちは両親と同世代だったが、ためらいなどは一切なかったのだろうか。

決して楽ではない公務員試験をパスした報酬は、ただ萎縮させられるだけの日々であった。
有力者の都合のみで不要な人材として放出され、本当に不要な人間となってしまった。
そして、結果的に親不孝者にまで堕落してしまったのである。

すべての元凶は、私を異動させた2004年度の不当人事にある。
人事に透明性が確保されていれば、私が一方的に悪者扱いされることもなかった。
すべてが無計画にして無分別、そして無慈悲。
これがブラック県庁の実態であるが、その表情はあくまで氷山の一角である。

今の私にできることは、自身が加害者とならぬよう、常に戒めること。
過去から学ぶとは、そういうことだと思うのである。
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