雑誌、文藝春秋はちょくちょく読んでいる。
こういう雑誌を読んでいると、俺もおじさんになったなぁと、しみじみ感じる。
分厚さといろんな記事があるという部分では、大人のコロコロコミックといったところか。あ、おじさんの、かな。
実際、けっこう分厚いので一年分たまると本棚のけっこうなスペースをとってしまう。結果、年末に廃品回収で出すということにはなるんだけどさ。
電子書籍なら、場所はとらないな、と思い、過去一回買っているんだけど、なんとなく読みにくい。買いそびれて、読みたい過去の号があれば、と思っていた。
といいつつ、今月号は本屋さんで買い忘れていたので電子書籍で買ってみた。
読みたかった記事をいくつか読む。
塩野七生の連載コラムを読んだ時だ。ページを開いた瞬間に違和感があった。
はて?
別に文章そのものに違和感があるわけじゃない。でもなんとなく、ちがうものを読んでいる気がする。
いくつかの記事を読んで思ったことがある。
文藝春秋ってさ、記事によって段組が変わるんだよね。
記事によって、二段組であったり、三段組であったりする。雑誌の最初の方のページに位置する塩野七生のコラムにいたっては四段組だ。
紙の媒体で読み慣れていると、そのあたりの思い込みがあるものだから、記事がかわっても同じように一段で、同じ活字で、とでてくると感覚が、というか、調子狂っちゃうんだね。
このあたりが、まだ電子書籍の限界だなぁ。
新書とか、文庫本のイメージで読んでいるものなら、まったく違和感ないんだけどね。
ざらついた紙の質感とか、活字のサイズや段組みや残ったページの厚み。
本を読むって、ただ文字情報だけじゃない、いろんなものがあるんだよね。
まぁ、かさばらない、いつでも読めるというのも、確かに大きな魅力ではあるんだけどさ。
紙の本自体は、やっぱりなくならないだろうね。
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