国民性ってやっぱりあるのかな?
日曜日に中野の中古カメラ屋を覗いたのだがずいぶんと雰囲気が違う。
高齢者が多いのは相変わらずで、購入より店員とのカメラ談義が目的のようす。まあ平和な風景だ。
しかし、最近の店内はめっきり中国語が聞こえてこない。
当時は餓鬼地獄のようなありさまで足が遠のいたものだが、今回はベトナム人の若者がチラホラ。
彼らは中国人のように大騒ぎすることもなくウインドウ越しに仲間と語ったり、たどたどしい英語で店員に質問したりと店の雰囲気を壊すことなく買い物を楽しんでいた。
こうなると同じ観光客でも招く方としては選びたくなるわな。
かつては陳列棚が空っぽになるほどの買い占めや商品を乱暴に扱うわ、法外な値切りを迫るはでひどい有様だったが彼らは一体どこへ消えたのだろう?
日本企業の生産拠点が中国から東南アジアなどにシフトして、経済も潤ってきたのきたのだろう。
中国人ほどの購買力はないにしろ、店としても意向に沿った経営ができているのではなかろうか?
見ていると今回のベトナムの青年たちは、カメラの取り扱いも丁寧で、商品であることを尊重し、レンズに直接指を触れるような狼藉を働くなどということはない。
同じ社会主義国家にもかかわらずこの国民性の違いは何なんだ?
この一件で全てを語れるわけではないが、貧富を問わず国民性というものはあるのだなと実感した。
そういえばあの秋葉原でさえ中国人旅行者は激減しているという。閑古鳥が泣いて店はさぞ困っているだろうと思いきや、敬遠していたオタクや他国の観光客が戻り結構な賑わいだと聞く。
あのイナゴの大群のような今一体どこでどんな騒ぎを起こしているのだろう。
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