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2018年07月12日06:44

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「半分、青い。」大予想!!

最初に結論。
「半分、青い。」は“朝ドラへのアンチテーゼ”であり“朝ドラ破壊活動”です!

マンガ家編の終わりあたりから確信したんだけど、鈴愛ちゃんは最終章直前までどんどん落ちぶれていくと思う。
なぜならこれは、鈴愛ちゃん世代の女性(※1)の“失敗人生”を描く「革命的朝ドラ」だからなんだよ!


僕が推察するこのドラマのテーマは以下の通り…

まわりに流されてボーっと生きてきた女性が、気付いたら自分の手の中には何も残ってなくて… それが「まわりのせいだ!社会のせいだ!」とは言わないけど、ぜんぶアタシのせいなのか? …っていう恨み節
声なき声を取り上げようとしてると思うんだ。


朝ドラヒロインっていうのはたいてい“立派な女性”を描く。
懸命に生き、女性の自立を体現し、女性の役割もまっとうし、大抵は幸せな家庭も築くのだ(色恋沙汰はたいして描かれないのに!)

だけどちょっと待ってよ!それってずいぶん都合がいいですよね?
それって「こうあるべき女性の姿」の押しつけじゃないですか?
最近でこそそういうのって一種の性差別だよねって言われるようになったけど
世間がアタシたちに望んだ“オンナの在り方”ってそういうものだったよね?
忘れたとは言わせないよ!
それに失敗したオンナの無価値はだれが責任取るんだよ!
…っていうのがテーマの物語なんだ。
だからこれは“朝ドラへのアンチテーゼ”であり“朝ドラ破壊活動”なんだ(※2)
たぶんね


ただ、北川悦吏子センセには、誰にでもわかるように物語を書く脚本力がもう無い。
時代が変わってセンセのセンスが古くなったのか「書かずともわかるよね?感じるよね?」が通用しない。
(いや、昔がどうか。ロン化けもなにも見たことないから知らんのやけどな…)

だから「半分、青い。」は非常にわかりにくい。
正直どこを取っても「いまなんの話をしてるのか?」さっぱりわからない(ロマンス以外は…)
世間(ていうかTwitter)でも賛否両論みたいになってるようですけど、でも僕が思うに称賛派も否定派も、どっちも表層だけを見ていて本質をとらえてない。

仕方ない。
その本質に関わることは劇中でほぼ描かれないうえ、本質じゃないものがいっぱい入れ込まれてストーリーのロジックが崩壊しているから、ちゃんと見るほどわからなくなるんだ。
だから“おはなし”を追ってはいけないんだ!!
ここまでブッ込まれてきた要素だけを“おはなしに関係なく取り出して並べ”てみるんだ!
フワッとしたフィーリングだけを信じるんだ!
そうすることで北川センセの意図するところが見えてくるハズだ!

その要素はいちいち並べないけど、浮かび上がるのはこういう事実だ。

・鈴愛ちゃんはなにひとつ自分で人生を選び取ってない(状況に流される)
・鈴愛ちゃんは他人の気持ちがわからない(自己中。他人の想いに興味が無い)
・鈴愛ちゃんは周りが一切見えてない(自分のことで精いっぱいだから?)
・自分自身も見えていない。
 だから最も大切な時に最も大切な事をしない(気付けていない。無意識に逃げてしまう)
・そんな鈴愛ちゃんを周囲の人は甘やかす(だが結果に責任を取らない)
・そして鈴愛ちゃんは周囲の人に感謝しない(口では言うがお返しをしない。つまり対等な関係になれていない)
・なので鈴愛ちゃんは反省せず、したがって成長もしない(所謂オトナ子ども)
・そして鈴愛ちゃんはやっぱり最後の最後には“耳のせい”にしてしまうんだ

これ「ダメなひと」の話ですね。
悪気が無いから、女の子だからと放置され、気づかないうちにダメになった女性の話です。
革命的でしょう?
そんな“ダメなひと”に寄り添うように共感を持って脚本が書かれています。
寄り添い過ぎて客観性や批判性がぜんぜん無くなってるので、下手に物語を追うと「コレいったい何の話をしてるのか?」さっぱりわからなくなるんだけども…(※3)

だけど、このおはなしからしばしば投げかけられる(というか喧嘩腰に投げつけられる)ダメオンナ目線の恨み節は、現実の世間の目から零れ落ちて隅に追いやられ、無視されてきた行き場のない主張だ。
「ダメなひとにはダメなひとなりの生きづらさがあるんだよ!」ということだと思う。

だから物語がクソでもぜんぜん意味がないわけではない!
物語がそれを拾うことには価値がありますよ!
フィクションである物語だけがそれを拾うことができるのだから…

そういう風に僕は思っています。(※4)

だから「このおはなしがどういう着地をするのか?」だけが気になって気になって、食い入るようにこのクソドラマを毎日見ているんだよ!
最後の最後にこのテーマが浮かび上がって、NHKの朝ドラ枠をひっくり返すような着地を決めたら、こんな面白くないイライラする行き当たりばったりの出鱈目スイーツ(笑)クソドラマにも意義があったよって言えると思うんだ!!!


そこでネックになるのは“耳の障害”の設定だと思うんだ。
ここまで、物語上ろくに機能してない耳の設定だけど、この話の結末にうまく折り合うためには、ここに来るまでにもっと伏線を張らないといけないハズ(※5)
失敗すると「耳の障害のせいでダメオンナになった」っていう解釈が可能になってしまう。
それは大変マズい。
少しでもそういう解釈が生まれる余地があってマズいと思うのだが、それをここから織り込むのは相当高度な脚本術が必要だ。
はたして北川センセにそれが望めるのか?
(僕の感触ではたぶん無理だ、だから今までの調子で忘れてたフリした方がいいと思う)

さて最後の着地はどうなるのか?
やっぱり胴体着陸して大炎上するのか?
ドキドキするね!
せめて空中分解はしないでおくれと思う。




※1
バブル前後に自我に目覚めて社会に関わりを持った世代で劇中人物よりもうちょっと幅広い世代。北川悦吏子センセ自身も入りますよ^^;)

※2
若き日の女性脚本家がテレビの世界でどんな扱いをされたかは想像に難くない。だから自分の生き様の“仮想敵”を健全ヒロインの朝ドラと定め、やたら商品名や流行語をセリフに入れ込んでNHKを攻撃してるのですよね^^;)

※3
北川センセは自分の経験をベースに鈴愛ちゃんを分身のようにして物語を紡いでいる。そこで自己愛が炸裂して話がおかしくなってしまう。例えばなんで漫画家の話にしたのか?振り返るとさっぱりわからないけど、あれは脚本家の苦悩を描いてるよね。でも漫画家と脚本家のクリエイティビティはかなり違うから、ありていに言って間違えてるよね^^;)

※4
“ダメなひと”とは実はセンセ自身のことだよね。センセは本当は弱い人間なのは自分でよくわかってる。だから壊れやすい自分を守るように頑なに過去の栄光にすがり、批判をブロックし、時には開き直り、謎のポエムで煙に巻こうとする。人間としてそれはわからんでもない。でも仕事が片付いてからでいい、批判に向き合い、自分に向き合うことをしなければダメなままだよ。さすがにもうお前に仕事来ないと思うよ^^;)

※5
鈴愛ちゃんが発明するのはもちろん耳の障害に関するモノだと思ってたんだけど、どうも違うっぽいね。なんで?どういうこと?

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コメント

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