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2018年07月11日16:35

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ごきぶりでありにけり

 「僧跳んであらはになりし梅雨穴」坪内稔典さんの「今日の一句」どう味わったらよいのやら、不思議な一句だ。
季語に梅雨穴というのがあって、解説に「梅雨時、降り続く雨によって道路などが陥没することをいう。大きな陥没になれば、地滑りなども誘発しかねず、大きな災害に繋がることもある」とあった。報道によると、今回の大雨による死亡・行方不明者は200人を優に超すとか。ホント、「ほどほどにならぬが自然梅雨出水(7月8日の今日の一句)」だな。

 このところの大雨の連続に外出の意欲も萎え、家でウロチョロするばかり。「何をノンキなっ!」と被災された人にはお叱りを被るかもしれないが、もっぱら「髭の先までごきぶりでありにけり(7月10日の今日の一句)」状態だった。
ゴキブリの名は「御器(食器)をかぶる(かじる)」からきたとの説があるらしいが、暇を持て余しキッチンをウロウロして口寂しいとばかりに食い物あさりをしている閑人は、まこと「ごきぶりでありにけり」だ。それにしても「髭の先まで」とは秀逸の表現。

 とはいえ、その昔に読んだ薄い小冊子を本箱から引きずり出して再読した。仏教学者櫻部建さん講述の『業・宿業の思想』平楽寺書店。
というのも、2014年7月に始まった倶舎論の業品(ごうほん:業に関する章)の聴講が、
残すところあと2回で終了する。
(なんとまあ四年に渡る歳月、大きな森の一本一本の木立についてクシャクシャと論じた講義の聴講。一回欠席しただけで皆勤に近く、我ながらよく続いたものだ。理解と記憶はともかく(^^;;;)、出席点だけなら優等生!)。

 で、この際、4年間の総まとめとして、上掲の本を読み直すことにしたという訳。四年前に業品に分け入るに際し、業の思想全体を捉えるにはと教室で副読本として紹介されたのが、この本だった。FIFAワールドカップ戦も四年に一度、ブラジル大会の頃に読んだ。

 2014年ブラジル大会以上に今回の大会で善戦した日本チーム、翻って私奴の倶舎論理解は前進したのか?まあ、「木を見て森を…」のたとえになっていないか自己チェックというところ。

 六道輪廻という言葉がある。今日の日本では、「輪廻なんて?死んだらそれまでよ!」と殆どの人は信じていない。だがしかし、そう言う私どもも、「初七日」「四十九日」とか「一周忌」「三回忌」と言って坊様を招いて香を炊く。お盆や春秋のお彼岸の中日には花と線香を持って墓参りをして先祖なり亡き人の追悼回向をする。ドッコイ、私奴らの生活の背景には、色濃く六道輪廻思想の残滓がベッタリとくっ付いている。人は死して後、地獄・畜生・阿修羅・人・天のどこに生まれ変わるか、それはその人の生前の行為つまり業(カルマ)によって決まってくる云々と。

 秋になったら、倶舎論の講義は随眠品(ずいめんぼん、随眠の章。早い話が随眠とは煩悩のこと。自慢じゃあないが煩悩なら誰にも負けずゴマンと持っている)に突入し、またまたクシャクシャとした講義が続く。
それまでの間に、私奴なりの業に関するよしなし話を日記に書いてみようと思う。業はある意味で仏教思想の基本背景とも言えようから、ということは、私奴らの日常生活の背景に触れることにもなるだろうから。何回に渡るかどうかは、書いてみないと分からない。
ご用とお急ぎの方は、以降の「業なんちゃら」と題した日記は見て過ぎて頂ければ幸甚。

 ゴキブリやゴソリゴソゴソ業の本  閑人 
  (ちなみに「ごきぶり」は夏の季語、で、これも一応俳句なんです。暑いですね)

写真左:やっと青空の7月8日朝6時の比叡山。まだ、鴨川・桂川は洪水警報下だった。
写真右:一応、京風仕立てのつもりの朝顔。大輪でもなきゃあ、花数も少ない。
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