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2018年07月01日11:49

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フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法



真夏の魔法という邦題と、なんともカラフルで楽しげなポスターを見て、どんなウキウキワクワクするマジカルな映画なのだろうと思って劇場に入ったお客さんは、序盤からのけ反るでしょうね。
主役の少女は信じられないほど可愛らしいのですが、同時に信じられないほど凶悪。
アパートの2階から、他人の車に向かって友達と唾を飛ばしてブッカケるという新競技に興じているのです。
当然持ち主から咎められると、「うるせぇバ〜カ!」と悪態をついて笑いながら逃げる様に、この生きものにはまだ言葉は通じないのだな、と実感します。

この後、延々とこの少女と友達の、微笑ましいという段階から遥か遠い所に来てしまった、えげつないイタズラを見せられます。
これが楽しいかどうかがこの映画を楽しめるかどうかの試金石となるわけですが、僕がとにかく面白かったです!
痛快でした。

こういう、貧乏で粗暴な子供がやりたい放題する描写というのは、昭和の映画やドラマにはたくさんありました。
ただ、この映画の子供はもう完全に大人を馬鹿にして見下しています。
大友克洋の短編漫画に「酒井さんちのユキエちゃん」とうのがあって、激マセガキ共が登場するのですが(「くそう、女なんか一回寝ちまえば、こっちのもんだーい」とか言う)、彼らを思い出しました。
いや、ここまでじゃないか・・・。

彼女は母親と2人暮らしですが、この母親もやっぱり痛快な人物。
生活のために真面目に働く・・・事が出来ない性質なのか、やっぱり犯罪まがいの事をやっています。
口が悪くて喧嘩っ早い、この親にしてこの子あり、という分かりやすい図式です。
でも、物凄く仲が良くって、生活は困窮していても常に楽しそうなのです。

この映画の半分以上は、このガラの悪い親子の起こす無茶苦茶なトラブルを描いていて、とにかく笑えます。
ジャンルはコメディである事を、もっと押し出した方が良かったと思うのですが、残念ながら日本ではコメディはウケが悪いらしく、なんとなく感動モノとしてプロモーションせざるを得なかったのでしょう。

ただ、ハリウッド製のコメディの様な安易なハッピーエンドをきれいに包装して帰りに渡してくれるような映画ではありません。
楽しい日々の中に、貧困の厳しさが徐々に迫り、そんな生活を続ける事が困難な状況になっていく・・・というお話なのです。

この映画で一番特徴的なのは、ラストシーンでしょう。
そこまでは非常にシンプルで分かりやすいドラマだったのに、ラストに「これは一体?」という現実離れしたシーンが登場して、唐突に終わるのです。
ここが面白いところでもあり、困ったところでもあります。

ヤフーレビュー等を見ると、ドンデモ珍説なども飛び出しで面白いのですが、ここが邦題の「真夏の魔法」の部分なのでしょう。
そこ以外に魔法なんて何一つ登場しないし。

ケッチャムの小説に「隣の家の少女」という、最悪の気分になる読書体験を提供する作品があります。
本当に血を吐きながら僕も最後までどうにか読み通しましたが、本当に最後にだけ、作者という神が自分の意思でどうしても書かざるを得なかったような部分があって、少しだけ救われた気分になりました。
この厳しい話を甘くする事は、現実を歪めてしまう事であり、絶対にできない。
でも、せめてここだけは俺の思うように書かせてくれ!という作者の気持ちが溢れていました。
この映画の最後の部分も、ドキュメンタリータッチな内容にそぐわないのですが、監督が「そうしたい」という気持ちからルールに反して使ってしまった「魔法」であると捉えるのが基も自然だと思います。

個人的には、ホドロフスキーの「ホーリーマウンテン」のような、メタ的なギャグの様に感じました。
ここの場所って、そういう場所なのでした、という部分をアッケラカンと種明かししたとも捉えられます。
映画から現実に引き戻し、観客の現実と地続きの問題である事を実感させるためだったのかな、と思ったのですが、それだとちょっと分かり辛いかもしれませんね。

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