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2018年05月17日21:57

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マルチハビテーションって

マルチハビテーションのコミュがあったので早速入会してみた。

人に説明するときは丁寧を心掛けているのだが、結局「別荘」という二文字でくくられることが多くその都度苛立っている。

まあ、そもそも役所が住民登録を1か所しか認めないところから始まっているのかなと思うのだが、家作を複数所有している人なんて世の中ゴマンといるわけで、これを富と見るか道具と見るかはその人の思想によるところが大きいのかなと思う。

いやらしい話だが僕の田舎は庄屋と武家屋敷で、戦後の農地解放やら不況などで大分減ったものの、東京の感覚で言ったら古い豪邸といった感覚。

夏休みに田舎に行くと近所のガキを集めて家の中でかくれんぼができた。

一方戦後進学で上京した父親はそのまま東京で所帯を持ち、下町に家を建てた。世間知らずの田舎のボンボンは安さに引かれて借地の平屋を購入し、後にいやらしい地主とのいさかいに悩まされることになるのだが・・・

そんなことはつゆ知らず、僕は小学校に上がると毎夏を田舎で過ごし、多様な価値観と習慣に触れることができた。

僕の家は決して裕福ではなかったが、結果的に親父は区内に3件の家を手に入れていた。

実家が手狭なせいもあり、18歳の時そのうちの1軒で僕は一人暮らしをするようになった。

今のような夏の酷暑も当時はなく、日陰に入れば暑さをしのげるような環境ではあったが、高校時代に部活で行った軽井沢の寮の快適さが忘れられず、いつしかここに居を構えたいと思うようになり、軽井沢通いが始まった。

当時高校生の分際でログハウスの情報収集に余念がなく、当時創刊した「ウッディライフ」の編集部に顔を出したり、輸入住宅のバイヤー宅に入り浸ったりしていた。どこも変わり者の高校生に対し邪魔にせず親切に対応してくれたことが今でも不思議なのだが。

就職し、結婚してからは妻の父親が所有する軽井沢の別荘に入り浸ったが所詮別荘は別荘で「住む」という感覚からは程遠いものでやはり自分の家が欲しくなっていた。

ちょうどそのころ軽井沢自体が荒れていた時代で、深夜家の周りを千葉や茨城ナンバーの暴走族が走り回り、夜間は花火や嬌声に悩まされる状況になっていて、シーズンの大渋滞もあり脱出を考えるようになった。

当時、仕事が忙しくなり、煮詰まった状態で東京にいることに耐え切れず、外車1台分と予算を決めて家を買った。実際手に入れてみると意外なほど別荘が利用されていないという現実があった。これも静かな環境を求めていた自分のニーズに合致した。

とにかく休暇が取れるとここで時を過ごし、リフレッシュして帰郷するというパターンを長年繰り返してきた。

正直言うとその頃はちょうど北軽井沢で仕事があって、言うなれば職住近接状態だったため、実に好都合。何の苦労もなくマルチハビテーションを地で行く生活を謳歌していた時期だった。

皆さんの誤解の一つは「別荘」は無駄、贅沢というものがある。本宅があって別荘があるという状況でメインがあくまでも本宅であるならばあまり使わない別宅は無駄であり贅沢であるかもしれない。また、同じところに何度も行くよりはいろいろな所に旅行したほうがいい。という意見もある。

まあ、人それぞれ好みがあるのでいいのだが「旅館」と「住居」は趣旨が違うし、「旅」と「生活」も意味が違う。そもそも価値観の違いなので長年の誤解を解くための努力は全く無意味であったことに最近ようやく気が付いた。

そんなわけでコミュには20年と書いたがマルハビ歴の実際は倍の40年くらいになる。

今は軽井沢エリアに2棟、栃木に1棟、東京に1棟と全部で4箇所を回遊している。それぞれにコミュニティがあり、現実のネットワークを持っており、活動している。最近は観光客に道を尋ねられたり、地元の人として見られることが妙に快感だったりする。

マルチハビテーション。最近はURやら政府やらが薦めているが、流行や思い付きで乗っかるのは感心しない。

想像力の無い方やズボラな方には向いていないが興味をお持ちの方は、きちんと自分の価値観と向き合って取り組めば新しい世界が広がるに違いない。

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