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2018年04月30日12:28

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ハッピーエンド


ミヒャエル・ハネケ監督が「ハッピーエンド」というタイトルの映画を撮ったという事自体、すでにオチのようなものですが、劇場でハネケ監督の映画を観た事が無かったので、今回観られて良かったです。

最初にこの監督に興味を持ったのは何だったのか・・・。
決して多くない作品群の内、観たのは半分程度ですが、最初は「隠された記憶」だったと思います。
単純に「衝撃のエンディング!」という売り文句につられただけだと思いますが、本当に奇妙な映画でした。

何かありそうで何も起こらない、長い長いシーンの連続・・・かと思うと不意打ちの様にショッキングなシーンが起こったりして、思わず巻き戻したりして。
最後も何も起こらないじゃねえか!と突っ込みましたが、後で実は・・・というのを知り、確かめてみたらまあ確かに。
でも、分かったような分からないような・・・という気分が残りました。

その後、いくつか作品を観て、一番有名な「ファニーゲーム」も観ましたが、どれも基本的には作風は同じです。
断片的な長回しのシーンの羅列、音楽を一切使用しない(エンドロールも無音)、唐突で突き放すかのような幕切れ(「愛アムール」だけは感動的な終わりでしたが)。
今回の「ハッピーエンド」も、こういった独自の様式美を徹底した、らしい作品である事は間違いありません。

「死ぬほど退屈でした!」「劇場でイビキが聞こえました」という感想も見られるとおり、普通の映画と思って観ると困惑するのは必至です。
先ほども書いた通り、物語が流れを持ち、徐々に盛り上がっていく感覚が意図的に排除されているからです。
説明も基本的に無く、いったいこのシーンは何を描いているのか分からない、という事も少なくありません。

これらは散らばったピースのようなもので、観ている人が自分の頭の中で組み合わせる事で、ようやく形がボンヤリと浮かび上がっていく作りとなっています。
一体これは何なのか?というのを、少ないヒントを頼りに能動的に読み取ろうとする事が不可欠であり、そこをあらかじめ理解し、楽しむ意気込みでないと、雪山で眠気を我慢するような辛い辛い苦行となるでしょう。

しかも、そのピース、明らかに足りないのです。
肝心な部分に限って。
唐突に終わる映画に対して「まだ色々足りないよ!」と突っ込みたくなるはずです。
どうでもいいようなシーンばかり延々と見せやがって!

ここで激おこプンプン丸状態で家に帰り、ストロングゼロでも読みながらSNSで「巨大なクソの塊を映画館で発見!」「寝室だと思ったら劇場だった系映画の決定版!」等と怨念の赴くまま書き殴り、十分な睡眠の後なのでその晩は寝付けなくて困る、といった事をしたらお終いです。
まあ別にお終いでも良いのですが・・・。

明らかに足りないものから、自分の脳内で(仕方なく)補完するする事で、観た人それぞれの物語が浮かび上がる。
これが一番の楽しみ方ではないかと思います。
観終わった瞬間に終わるのではなく、そこから楽しみが始まるタイプの映画と言えるでしょう。

以上で終わると、ちょっとエラそうな感じで嫌ですよね?
別に嘘ではありませんが、ハネケの映画はもっと短絡的にも楽しめるのです。
「おいおい、このシーンまだ終わらないよ!」「きっと何も起こらないぞ・・・キター!やっぱり何も無し!」「何言ってるか全然聴こえね〜!」「犬の鳴き声うるせ〜!」「終わった〜!やっぱり今回も全然意味分からね〜!」と、心の中で合いの手を入れるのです。
「孤独のグルメ」で井之頭五郎が、心の中だけ饒舌なのと同じです。

「ハッピーエンド」もこれまでの映画もそうですが、実はコメディ的な部分が多いと感じています。
その場ではギョッとするだけでも、後々考えると笑ってしまうような。
非常に意地の悪いものばかりですが・・・。

今回の映画はスマホ社会のコミュニケーションの断絶を描いているそうです。
スマホばっかり見て周りの人間の事になぞ興味を示さない若者に対して「ぶっ殺してやりたいのう」と思う監督の怒りが滲む内容ですが、あなたの映画自体が観客とのコミュニケーションを断絶しているようなものばかりじゃないの!と言いたくなる気もします。

あと、少女の着ているTシャツに「I☆JAPAN」と書いてあるのが気になったのですが、監督によるとこの映画は日本で起こったある事件がヒントになっているそうで、そういう所は律儀なんだなあ、と思いましたね。

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