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2018年04月11日05:05

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大荒木(おほあらき)のもりの木(こ)のまをもりかねて人だのめなる秋の夜の月 皇太后宮大夫俊成女

大荒木(おほあらき)のもりの木(こ)のまをもりかねて人だのめなる秋の夜の月
 皇太后宮大夫俊成女
 五十首歌奉りし時、杜間月といふことを
 新古今和歌集 巻第三 秋歌上 375

「大荒木のもりという、その漏りやすい森の木の間を漏れることもできず、いたずらにあてにさせるばかりの秋の夜の月よ。」『新日本古典文学大系 11』p.120

建仁元年(1201)十二月、仙洞句題五十首。
本歌「ことならば闇にぞあらまし秋の夜のなぞ月影の人だのめなる」(柿本人麿 拾遺 恋三)。
大荒木 説はあるが八雲御抄五[やくもみしょう 順徳天皇 1197-1242 による歌論書]は山城国の歌枕とする。「大粗きの漏り」と興じ、「森」と「漏りかね」も同音の技巧。
人だのめ 光がよくさすかと人に期待させること。
参考「大荒木の森の下なるかげ草はいつしかとのみ光をぞ待つ」(躬恒集)。
「秋月を待つ」の歌。

藤原俊成女(ふじわらのとしなりのむすめ 生没年未詳 1171?〜1254?)藤原俊成の孫で養女。建久元年(1190)頃、源通具(通親の子)と結婚。建仁二年(1202)、後鳥羽院に召され女房として御所に出仕。
新古今集初出(二十九首)。勅撰入集百十六首。
http://bit.ly/XmUeKJ
http://bit.ly/XmUklr

俊成女は、隠岐での後鳥羽院による『時代不同歌合』と定家による『小倉百人一首』のどちらにも撰入されていない。何故だろう? 『新古今』では、「したもえに思ひ消えなん煙(けぶり)だに跡(あと)なき雲のはてぞかなしき」が巻第十二 恋歌二 巻頭歌で、「かよひこし宿の道芝かれがれにあとなき霜のむすぼほれつつ」が巻十四 恋歌四 巻軸歌という破格の処遇をされているのに。

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