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2018年04月10日05:10

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深草のさとの月かげさびしさもすみこしままの野べの秋風 右衛門督通具

深草のさとの月かげさびしさもすみこしままの野べの秋風
 右衛門督通具
 千五百番歌合に
 新古今和歌集 巻第三 秋歌上 374

「深草の里の月の光よ。その身にしみる寂しさも、それが澄みつづけていた、そしてまた私がここに住みつづけていた昔のままであるが、同様に昔のままに吹く野辺の秋風よ。」『新日本古典文学大系 11』p.120

建仁二年(1202)頃、千五百番歌合 秋三。
本歌「年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ」(在原業平 古今 雑下。伊勢物語一二三段)。
さびしさも 何もかも、そして「さびしさも」である。
すみこしままの 下の「野べの秋風」にもかかる。「澄む」と「住む」は掛詞。
本歌を詠んで出ていった男が再び深草に戻ってきた折の感慨と見立ててよい。
参考「住む人もなき山里の秋の夜は月の光もさびしかりけり」(藤原範永 後拾遺 秋上)。
「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉なくなり深草の里」(藤原俊成 千載 秋上[久安百首])。
「秋風」の歌。

源通具(みなもとのみちとも 1171-1227)平安時代末期から鎌倉時代前期の公卿、歌人。源通親の次男。妻は俊成卿女、後に離別。和歌所寄人、新古今集撰者。
新古今集初出(十七首)。勅撰入集三十七首。
http://bit.ly/14dtJXV
http://bit.ly/14dtQ5M

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