ある相手が自分の消極的な反対と異なる結論を下したとて見捨てない。なぜなら私は「特定の意見の味方」ではなく「その人物の味方」だからである。
なので後になって案の定、その人物が私の予想通りに失敗したとしても、助けを求められれば私はその人物を助けることに躊躇がない。
世の中には「自分の意見を聞かない時点でもう知らん!」となげうってしまう人も多いようだが、もともと「相手に良くなってほしくて意見をしていた」のに、いつの間にか「自分の意見を押し付けること」が目的になってはいないかしら?
私は「特定の意見の味方」なのではない。「応援したい人物の味方」であり続けたいだけだ。その人物が私を拒絶し始めない限りは。
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