mixiユーザー(id:10383654)

2018年02月01日17:26

124 view

仮想通貨って?

 このところ仮想通貨なる言葉が、各種メディアに氾濫している。580億円相当の仮想通貨がわずか20分余りの間に盗まれて、ああだこうだのオシャベリが続いている。昨日今日の新聞にもFacebookが仮想通貨がらみの広告を禁止したなんて話題が載っている。だが、年金だけがたよりで細々と暮らしている年寄りには、ほとんど理解に苦しむ内容だ。

 私奴のお金が盗まれた訳ではないし、IT技術だの金融工学なんてのはチンプンカンプンだから、「ふぅ〜ん、そうなの」程度の興味しか湧かない。犯人は誰で、窃盗の手口はどうで、誰が損をし、補償はどうなるか? なんて話はどうでも良いが、なんとなく10年以上も前にだったかに読んだ経済学者岩井克人さんの言説をボンヤリと思い出していた(『ヴェニスの商人の資本論』だったか『貨幣論』だったか?)。

 それは、たしか「貨幣が貨幣なのは、それが貨幣だから」とか云う人を喰ったような言葉(蛇が己の尻尾をどんどん飲み込んだらどうなるか?というのと同じで、自己言及文だ)。 
もうすこし噛み砕いて言えば、「貨幣が貨幣であるのは、それが貨幣として使われるからである」となる。「貨幣として使われる」というのは、貨幣自体にモノとしての価値はないが、だれもが『他人も貨幣として受け取ってくれる』と考える(信じる)からだれもが受け取るという事態が起こっているということ。
もし何らかの事態が発生し、受取ってもらえると考えられなくなる(信じられなくる)と、どうなるかという問題には目をつぶっておこうだ。いわば、貨幣は、或いは貨幣が支配するこの世は、共同の幻想?

 そんなことをボンヤリと考えていたら、1月18日の朝日新聞に岩井克人さんへのインタビュー記事「デジタル通貨の行方」が載った。
太古、貝殻などで始まりやがて紙幣・硬貨が出現し、今日のデジタルな通貨として出現した仮想通貨は究極の貨幣だという岩井さんは反面、次のように言っている。
「2009年の登場以来、ひょっとしたら貨幣になるかもしれないと考えてきました。しかし、この1年で考えが変わりました。もはや、貨幣になる可能性は極めて小さくなってしまった」と。
理由は、「最初は麻薬の地下取引などで利用が広がったため、そのまま静かに一般取引でも利用が広がれば貨幣になる、というシナリオも描いていました。しかし、逆説的ですが、人々が『貨幣になるかもしれない』と期待と興奮の中で値上がりを目的に買い始めたことが、逆に貨幣になる可能性を殺しています」だと。(要するに決済手段として便利でコスト・セービングに繋がると予想する(信じる)から購入するが、やがて仮想通貨自体を溜め込む(価値があがる資産として誰もが手放さない)ので決済手段としての貨幣では
なくなるという事?ナルホドなあ)

 以上まことに、仮想通貨ってのは、「期待が期待を呼び、その期待がまた期待を呼び、その期待がをまたまた期待を呼び、それらが渦巻いて…、ただし期待の充足を担保するもの(実体)は何もない」(欲望が欲望を呼び、その欲望がまた欲望を呼び、その欲望がまたまた欲望を呼び、それらが渦巻いて…、ただしそ要望の充足を担保するもの(実体)は何もない」とも表現できる)この資本主義の世の現実をよく示している、と言えそう。

 
 仮想通貨の話からいささか外れるのだが、経済学者岩井克人さんは、『会社はだれのものか』って、貨幣についての論考と似たような論理を使って、いささか学者らしくもないタイトルの本を書いている。内容はきわめて論理的で、群書を抜いていると思います。
経営者と法人としての企業の関係を貨幣同様に自己言及(自己循環)的と捉え、「信任」という概念を持ち出して、ある種の倫理・道徳・宗教哲学みたいなことを論じていて、面白いなあと思いました。いずれ氏の本をキチンと読もうかと思っている。
2 3

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する