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2018年01月03日05:17

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山里の峰のあま雲とだえして夕べすずしきまきの下露  太上天皇 [後鳥羽院]

山里の峰のあま雲とだえして夕べすずしきまきの下露
 太上天皇 [後鳥羽院]
 太神宮にたてまつりし夏歌中に
 新古今和歌集 巻第三 夏歌 279

「山里近い山の頂にかかる雨雲はとぎれて雨の上がった夕暮れ、真木から滴り落ちる名残の雫がいかにも涼しく感じられる。」『新日本古典文学大系 11』p.95

後鳥羽院御集「承元二年(1208)二月、外宮三十首御会」。
神宮 豊受大神宮。
まき 真木。杉・檜などの美称。槙ではない。
下露 ここは下陰や下葉に置く露ではない。
「晩夏の涼」の歌。

後鳥羽院(ごとばのいん 1180-1239)平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての第82代天皇。新古今集の実質的な撰者。
新古今撰入三十五首。勅撰入集二百五十八首。
隠岐での後鳥羽院による『時代不同歌合』では自分自身を中務卿具平親王と番えている。
小倉百人一首 99 「人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は」
http://bit.ly/YYVdij
http://bit.ly/159tuQy

「[この一首は]同じ後鳥羽院の[新古今集]秋の歌[492]「さびしさはみ山の秋の朝ぐもり霧にしをるる槙の下露」を呼んでいるとも言へるかもしれない。そして「槙の下露」の歌二首は、季こそ違へ、いづれも上の句で雄大な眺望をおこなひ下の句で微妙な観察を試みてゐるから、この大胆と細心の取合せは上皇得意の構図だつたと考へてよからう。」
丸谷才一『後鳥羽院 第二版』筑摩書房 2004.9 p.78 歌人としての後鳥羽院

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