「もういいです、木原《きはら》さん! できることだけやって下さい!」
1回り歳の若い女性社員に捨て台詞を吐かれながら、会場の荷物を撤収していく。
……今日も駄目だったか。
ため息をつく暇もなく社用の1トントラックに荷物を積み込んでいく。もちろん積み方もわからないため、再び東岡《とうおか》さんの指示待ちになってしまう。
「何をしてるのですか! 道具が全部、車に収まればいいんです。早く積んで下さい」
「すいません!」
謝りながら機材を車に積み込んでいく。だが積み込み方が無茶苦茶で、再び東岡さんの怒りを買ってしまう。
……なんで花屋がこんなことまでしなくちゃいけないんだよ!
会場の背あてにしていた屏風《びょうぶ》を掴みながら怒りが込み上げていく。地元の九州では難なくこなせていた仕事だったが、東京でのやり方はまるで違い、混乱するばかりだ。
「これで以上ですね。いつもより時間が掛かりましたので、早く帰りましょう」
東岡さんは抑揚のない声でいって助手席に戻った。背丈が足りないのか、補助を使いながら乗り込む姿は愛らしく、子供らしさが残っている。
だが、その目にはすでに俺は使えない新入社員としてレッテルが貼られていた。
◆◆◆
32歳から始まる東京生活
第一話
「もういいです! できることだけやって下さい!」
◆◆◆
新しい職場に来て一週間。
「木原さん、遊んでる暇はないですよ! 早く作成を終わらせて下さいね」
「は、はい! 了解です」
……何でこんな若い子に指示されて文句いわれなきゃいけないんだよ!
洋花に使う百合《ゆり》を眺めながら思う。だが最初の一発目の施行で動けなかった俺に慰めの言葉を掛ける人間はここにはいない。
これが東京の人間の扱いなのか、それとも俺自身の不甲斐なさなのかは未だわかっていない。
「木原さん、仕上がりました?」
東岡さんの目は不信感を備えながら俺をねめつける。
「はい、できました。確認お願いします」
「……木原さん、ここに百合は3本ではなく5本と書いてありますよね?」
「すいません。元の大きさよりも大きかったので、3本でもいいかと……」
「そんな訳ないですよね? 百合はどんな大きさでも5本入れて下さい。現場に行けないのですから、手間取らせないで下さいよ」
東岡さんは俺にわかるように大きなため息をついて部屋から出ていった。
◆◆◆
「どう? 木原君。ここでの生活は慣れた?」
「すいません、まだ全然慣れていません。お役に立てずに申し訳ないです」
「大丈夫、君ならすぐに慣れるよ」
柿本《かきもと》さんは明るく笑いながら、俺に珈琲の缶を投げてくれた。
……やっぱ疲れた時は微糖だな。
柿本さんの笑顔と珈琲の潤いが痛んだ心を癒してくれる。彼は俺の人柄を評価してくれて、採用してくれた人だ。今までやってきたものを見せると、これならすぐに活躍できると見込み、新店舗に配属してくれた。
だが実際は裏腹に俺の評価はだだ下がりで、新店舗の所長は俺に話しかけようともしてこない。
きっと俺の立ち回りを見て不安でいっぱいなのだろう。
「木原さん、ちょっといいですか」
声のする方を見ると、東岡さんが不機嫌な表情で俺を見ていた。咄嗟に体が硬直していく。
「今日は私と一緒に出棺《しゅっかん》に行きます。よろしくお願いします」
「了解です。よろしくお願いします」
俺の返事を待たず彼女は踵を返した。どうやら彼女には完全に嫌われているらしい。
「って、どの車で行くんだよ……」
途方に暮れながらも、無情にも休憩時間は過ぎていく。俺が都会に染まれる日は本当に来るのだろうか。
◆◆◆
「木原さんは、九州で技術職として働いていたんですよね?」
「一応、そうです。ですが、前とやり方が違って戸惑うばかりです」
「……そうなんですか。正直にいえば、新店舗の足立には私が行くはずだったんです」
東岡さんは、小さくため息をつきながらも、1トントラックを難なく運転していく。
「……正直にいえば、悔しいです。上の判断ですから、仕方のないことですが。私よりも仕事のできない人が行くとなると、納得いきませんね」
「す、すいません。今はまだ何もできていませんが、この二か月の研修で、必ず役に立てるようになります」
「技術だけでは駄目ですよ。足立は本社とは違って人数が少ないですから、なんでもできるようにならないといけないですから」
「……重々承知しているつもりです」
地元の花屋は花を搬入するだけだった。だが東京では葬儀社のように会場の設営から始めなければならない。
それはほとんどの業者が斎場を借りているからだ。搬入する者が全ての設計図を頭で一から組み立てて、道具を揃えなければならない。
まるで《《葬儀屋》》に就職したみたいだ。
「木原さんはなぜ東京に来たのですか?」
東岡さんは品定めをするような厳しく目を光らせながらいった。
「……それをお答えするには一言では済みませんが、話してもいいでしょうか?」
「ええ、運転している間は暇なんです」
彼女は渋滞に嵌まっている首都高速道路を眺めながらいった。
「帰るまでに50分以上は掛かりますので、ご自由にどうぞ」
俺の仕事は葬儀の花屋だ。地元では名のある花屋に務めており、そこで日々祭壇の花作成にあたっていた。
仕事に慣れると退屈の日々が続いた。緩い職場でもあり、提携先との連携が取れており順調で同じことの繰り返しだったからだ。
「木原、東京は凄いぞ! デザインも自由で規模もでかい! 東京にはやりがいがあるぞ!」
ここに来るきっかけは別の花屋の先輩だった。その人が東京の花屋に行くことになり、無理を承知で頼み込むと、承諾が下りて東京の花屋に来ることができたのだ。
だが現実は無常で、俺のできることは何一つない。おまけに年も食っている。
「……なるほど、そうだったんですね」
東岡さんは素っ気なく頷いた。
「私も花を挿すことはまだできませんが、施行に関しては一人で任されています。現状では、私の方が上ですね」
「……そ、そうですね」
「二か月後、使えるようになっていると認識していいですか?」
「も、もちろんです!」
俺は促されるまま、頷いた。
本社に帰り着くと、皆が連携を取って荷物を下ろしていく。2人掛かりで30分以上掛けて積み込んだ荷物が5分もせずに消えていき、所定の位置に戻っていく。
前の会社では考えられない光景だ。
「では木原さん。また新しい仕事を覚えて貰います」
東岡さんは俺を見ずに、二階の事務所を指差した。
「今日は事務所で写真を加工して頂きます。もちろん作ったことはないんですよね?」
「……はい」
「では、早く行きましょう。もちろん他の仕事もありますから、一度で覚えて下さい」
俺の返事を待たずに彼女は階段を一段ずつ登っていく。
……ここは、一体どこなんだろう?
先に見える事務所がなぜか遠く見え、自分がどこにいるのかわからなくなる。退屈を持て余していたあの地元はもう、ない。
……なぜ自分はこの世界を望んだのだろう。
当たり前の幸せでは満足できなかったんだ。階段の手すりを掴みながら思う。自分の気持ちをコントロールして、今はこの大海に飲まれるしかない。波に乗るのはその後でいい。
……東京の津波に飲まれてやろう。すべてを溶かして、マイナスの世界からでも這い上がってみせる。
《《新しい世界》》を見るために、俺はここに来たのだから――。
一歩一歩、鉄の階段を登る。新しいレールに載っていることを感じ取り、自分のいる場所を再認識する。
……始めの一歩は彼女に認めて貰うことだ。
「東岡さん」
俺は彼女にきちんと頭を下げた後、まっすぐに見上げた。
「改めて、よろしくお願いします」
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