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2017年10月22日11:04

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【超重要】嵐ヶ丘 企画書

嵐ヶ丘 企画書



2世紀半にわたる民主主義の実験が終わろうとしているかに見える昨今である。
それは根柢に、先進諸国における資本主義の爛熟と閉塞感と、途上国における先進性への期待とを据えたうえでの表層だろう。
だが表層だろうと100年続けば人の一生より長い。わずか数十年間の表層もつねに良きものであることが意志されるべきであろうし、悪しき表層を維持拡大しようとする思想と運動は批判され排除されてしかるべきである。
幸いにして悪しき表層の担い手は見えている。分断を支えるのは世代・性別ごとの流行の総合だ。総合であるところの愚には総合としての汎世代的な叡智で立ち向かうしかない。

1980年代は米日韓の右派政権とポストモダンの価値相対化によって総合智が嘲笑された時代だった。そのまま日本はバブルにのめり込み破産状態を更新しながら現在に至っている。2020年五輪という花火を境目に政治経済が極度に荒れていくことを見越したうえで、ハラを括って立ち向かうのが今後数年の文化運動の必然である。

花岡敬造作「嵐ヶ丘」はバブル前夜の80年代半ば、「調子に乗っていた」タカ派的世相を敏感に感じ取った東京大学に巣くう学生劇団により寮の講堂を改造した手製の木造劇場において1000円ほどの入場料で7ステージのみ上演された4時間半にわたる長編演劇だ。集客は800名ほどだったという。そこには「昭和の怪物」と呼ばれた最後の世代の「一生の間に百回も生き方を変えなきゃならなかった」おめきがバルザック調のつんのめる筆致で延々と書き殴られていた。ほんらい左翼の子たる演劇ですらが脱アングラの方向を見つけられず拡散していた冷戦末期に、敢えて未登録の遺跡のようにゴロリと投げ出された芝居だった。その台本のおそらく現存する最後の一冊がいま、僕の手元にある。

本日2017年10月22日は衆院選である。改憲勢力の勢いが戦後最大になった選挙であり、結果の如何を問わず本日以降の日本社会はほぞを噛む膨大なマイノリティを乗せたまま大きく右旋回することになる。芸能は庶民の遊び心を予言実行することにその本念があると定義する時、我々が落とし込むべき「政治的かつ遊戯的な身体」とは何か、何を喜劇とし笑い飛ばしつつ、かつ弾圧はうまくいなしながら、表現領域を勝ち取っていけるのか。いま僕らがどのような野や街の風景に立つことが未来の芸能の可能性を示唆するのか。を、試みてみようと思う。

身体一本地獄の板場。僕らは芸の中の芸をお見せする。右翼の方、ANTIFAの方は無論のこと、列島居住者総数のなかばにもなろう生きにくいハンディキャップのキャリアの方々にこそ届けたい。観客の中の観客になろうという方はぜひ、本番にお立ち会い願いたい。


平原演劇祭 高野竜
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