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2017年10月09日18:53

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忘れてはいけないこと

実は僕。この飛燕のコックピットに座ったことがある。

1964年。世田谷区の二子玉川遊園地で開催された航空博覧会の目玉展示で、会場にはこの飛燕のほか、自衛隊に供与されたグラマン・アベンジャーなどの大戦機やT33が狭い敷地に展示されていた。

連れていってくれた父は終戦まで群馬県太田市の中島飛行機で疾風や隼を作っていた。
幼い僕にエンジンの冷却方法の違い、翼の形状や取り付け位置による性能の変化について語っていた。難しいことは分からなかったが、内容はなぜか記憶に残っている。

戦争遺産の収集、展示には賛否両論あるが、長い歴史の中で培われた日本の工業技術の結晶であることは事実。これを負の遺産として葬り去ることが果たして正しいことなのだろうかと思う。

「鉄くずに1500万?」という意見は出品物に対する知識や価値を知らなければ当然のことだ。きっと興味もないのだろう。

こういう事例を見るにつけそろそろ本格的に先の大戦の資料を収集、展示する必要があるのではないかと思う。

毎年、ネバダ州リノで開催されるエアレースには大戦機を改造したレーサーが多数出場している。会場で実物に触れ、その大きさやエンジン音の迫力に圧倒された。

空を舞台に戦った猛者たちは、今やスピードを競い名誉を賭けて戦っている。

その姿には機銃の硝煙や血の臭いは微塵もない。

機械として隅々まで研ぎ澄まされた姿は限りなく美しい。

会場で老人に声を掛けられた。

「日本人か?」と問われ「そうだ」と言うと、「私は太平洋で3機のゼロを撃ち落とした。しかし2回撃ち落とされたがね」と笑った。そしてこう付け加えた。

「平和はいい。このレースは最高だと思わないかい?」

「同感です。こうして当時の飛行機が今も活躍していることに驚き、素晴らしいと思います」と言うと、

「日本じゃゼロは何機くらいあるんだい?」と問われた。

「残念ながら2,3機だと思います。飛べませんが」

「こっちにゃ飛べるのが2,3機あるぜ。不思議な話だな」と信じられないという表情だった。

これらは工業製品であるだけでなく歴史の証言者でもある。

戦争で命を落とした方が最後に運命を共にした機体であることを考えると大切にすべきだと思うのだが・・・


旧日本陸軍の三式戦闘機「飛燕」がヤフオク!に出品中 オーストラリアのコレクター「日本へ帰還させたい」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4804747
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