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2017年08月24日05:11

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花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる 式子内親王

花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる
 式子内親王
 百首歌中に
 新古今和歌集 巻第一 春歌下 149

花は散りはて、今は特に何を追うともなく見入っていると、空漠とした空に春雨ばかりが降っている。」『新日本古典文学大系 11』p.59

正治二年(1200)[後鳥羽]院初度百首、初句「花は散りて」。
本歌「暮れがたき夏の日ぐらしながむればそのこととなく物ぞ悲しき」(伊勢物語四十五段)。
色 仏語の「色(しき)」に倣って広く「もの」の意と見たい。形・色彩を含む。
むなしき空 漢語「虚空」の訓。
今更木末の花を追うのではないが、春を惜しめばこれまでの慣わしで自然目は空にゆくのである。
参考「あけたてば空しき空をながむれどそれぞとしるき雲だにもなし」(和泉式部続集)
「春の空」の歌。

式子内親王(しょくしないしんのう 「しきし」とも「のりこ」とも読まれる 1149-1201)後白河天皇皇女。賀茂斎院(1159-1169)。
千載集初出(入集九首、女性歌人で最多)。新古今四十九首。勅撰入集百五十七首。
隠岐での後鳥羽院による『時代不同歌合』では斎宮女御と番えられている。
小倉百人一首 89 「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする」
http://bit.ly/10bUYTA
http://bit.ly/XugWzt

「元久二年(1205)、『新古今集』は一応の完成に至り、完成を祝する竟宴が行われた。しかしその直後から四年にわたって激しい切継ぎ(削除と増補)が行われた。承元(じょうげん)三年(1209)に再び完成に至って、四年に少し補訂されて、流布していったと見られる。

『新古今集』に式子内親王は四十九首の入集をみた。慈円九十二首、良経七十九首、俊成七十二首よりは少ないが、定家四十六首、家隆四十三首、後鳥羽院三十三首を超えている。 
  
[式子内親王] 百首歌中に 花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる [巻第二] 春下 149 (花は散り、もはやこれといって心ひかれる色もそこにないのに眺めていると、何もない空に春雨が降っていることだよ。)  

『正治初度百首』[正治二年(1200)]の歌で、花が散りはてた季節、そらにただやわらかく春雨が降る景を歌うことにより、惜春の孤愁とやるせない情感を表現した。『伊勢物語』[四十五段]の歌 「暮れがたき夏の日ぐらしながむればそのこともなくものぞ悲しき」 を本歌とする。

また俊成の恋歌 「思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る」(『新古今集』恋二 1107)や、定家が二十一歳の時に詠んだ惜春の歌 「思ひかね空しき空をながむれば今宵ばかりの春風ぞ吹く」(『拾遺愚草員外』690)からの影響がほのかに感じられる。

そして「その色となく」は、良経の 「わたのはらいつもかはらぬ波の上にその色となく見ゆる秋かな」(『秋篠月清集』642)から学んだとみられるが、式子の歌は花の色を幻像として残して美しい。

たださらりと詠んだかに見えるこの優艶な歌にも、俊成、定家、良経らとの表現の交錯が見られるのである。」
田渕句美子『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集(角川選書)』KADOKAWA(角川学芸出版) 2014.2 p.104 第二章 「式子内親王 後鳥羽院が敬愛した皇女 三 『新古今和歌集』の光輝 稀代の皇女歌人として」

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